

(1999年1月23日付)
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発明者の意図は親に“注意喚起”すること 暴力・性描写の子どもへの影響を憂慮 |
日本では、テレビ放送におけるVチップ(Viewer―Control―Chip=視聴者による選択装置)導入は見送られることになった。
カナダで発明され、アメリカで実用化されたこの装置は、結局アメリカでは、番組をG(一般)とかPG(親の承認を要する)というカテゴリーに分けた上で、番組の性格付けを表示することに落ち着いた。
しかしながら、Vチップの発明者であり特許申請者であるティム・コリングス氏のそもそものコンセプト(概念)は、ある種の番組が子どもたちにどのような影響を与えるのか、親たちに“注意喚起”することにあった。それが、単に形式的なカテゴリー分けだけが前面に出た時点で、本来の目的からは外れてしまったのだ。
コリングス氏をはじめ、残虐(ざんぎゃく)性の強い内容の番組の規制を求めた人たちは、それらの描写に一種の副作用のようなものを想定していたと思われる。新薬の臨床データではあるまいし、数字としてはっきり出すのは難しいだろう。
コリングス氏の場合は、あるピストル乱射事件を起こした少年が、残虐ビデオのマニアだったことから、暴力描写と利己的な暴発行動の間の関連を膨大な数の論文にあたって調べ、習慣的な暴力番組の視聴が青少年期のある種の行動を形成すると結論づけた。Vチップの開発はここから始まった。
アメリカでVチップの立法化の道をつけたのは、学者出身のある政治家だった。子ども向け番組の残虐性といっても、たいしたことはあるまいと軽く見ていたその政治家は、「実物」のあまりの残虐さに対抗手段の必要を感じ、意を決した。
Vチップが導入される二年も前に、ミネソタ州では、州の医師会が(特に小児科の医師が)親を対象に、それぞれの病院で「児童の暴力行動は後天的に習得される」点を説明することに決めた。昨年、翻訳出版された『テレビ汚染とアメリカの子どもたち』(八潮出版社)によると、これまで発表された八十五件の本格的な研究のうち、八十四件が「暴力描写の数年にわたる継続的視聴は、児童の暴力行動の遠因のひとつである」と結論づけている。
暴力行動、物の破損行為などは具体的な副作用であるが、明らかには表出しない副作用もある。価値観が歪(ゆが)められるのも、そういう副作用のひとつだ。子どもたちが、残虐さや利己主義だけに価値を置くようになると、例えば、つらい宿命のもとで懸命に生きている誠実な人たちへの共感がもてるとは考えにくい。これもまた、副作用ではなかろうか。
日本の一般紙(朝日、読売など)のVチップ報道には「表現の自由を侵害する可能性のある装置」のようなコメントがつけられていた。思想・信条の表現と、営利目的の商品の提示表現の違いを明確にした議論はなかったようだ。日本では、Vチップの一番重要な点が論じられなかったことになる。
思想・信条の表現の自由が尊重されるのは当然であるが、民放テレビ局がスポンサー企業との相談で制作する商業番組はどのような内容でも表現してかまわないのだろうか。もし番組という商品が、特定の「消費者」(この場合、子ども)に害があることが分かっているとすれば、ある種の規制は当然ではないか。
はっきり言うと、テレビ局は、番組の視聴率が上がるほど、膨大な利益がころがりこむ仕組みになっている。暴力描写と性描写を多くすれば聴率は高くなる。これは、何十年も前からわかっているテレビ界の公式である。
であればこそ安易に流れず、良質でかつ視聴率を稼(かせ)げる番組づくりに工夫をこらすべきではないか。
アメリカのFCC(連邦通信委員会)の定義によれば、電波の所有権は国民にある。日本も同じであろう。電波は公共のものであるがゆえに、公共のためになる目的のために使うのが筋である。公共のためになる番組とは、青少年に、困難に粘(ねば)り強く取り組む、前向きな生き方を励ますような内容であろう。
現に、アメリカの良質な児童向け番組『セサミ・ストリート』では、主人公のビッグ・バードにその役割を託していたのである。一九七〇年代の『セサミ・ストリート』の脚本は、教育社会学者のグループによって書かれていた。非暴力の話し合いと前向きな姿勢を、キャラクターをとおして表現したのだ。
(翻訳・著述業)
略歴 おだ・かつみ 1952年、千葉市生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。官庁の在米勤務を経て、現在は専門学校講師。専門は、時事英語とアメリカの教育研究。著書に『アメリカの環境事情』『アメリカ新聞界の良識――クリスチャン・サイエンス・モニターの名記者たち』、訳書に『過食症からの脱出』がある。