

(1998年11月28日付)
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「経済危機のなかのプレス(報道)と政治」がテーマ 社会的強者への迎合(日本)と時代斬りむすぶ論調(米国) |
十月二十八日から三日間、アメリカのロサンゼルス郊外、クレアモントで開かれた「経済危機のなかのプレスと政治」をメインテーマとする「環太平洋諸国メディア会議」に招待パネリストとして出席した。
この機会を利用して二十六日には在ロサンゼルスの日系企業の方々に「これでよいのか、日系企業の人権感覚」を、翌二十七日にはユダヤ系でホロコースト関連での人権擁護組織、サイモン・ヴィーゼンタール・センターで「台頭する日本のメディアの歴史修正主義」をテーマに講演した。
メディア会議をふくめ、拙論の基調は『第三文明』九月号に寄稿した「ナチ〈ガス室〉否定と〈歴史修正主義〉の虚妄」の通りである。
すなわち、文藝春秋発行『マルコポーロ』誌九五年二月号における「ナチ・ガス室否定」論から今年に入っての、南京大虐殺を否定し、先の戦争をアジア、とりわけインド解放のためであったと強弁する映画『プライド――運命の瞬間』、昭和天皇の誕生日(四月二十九日)に放映されたNHK『視点・論点』における「やらせ放送」(上智大教授・渡部昇一氏出演)に批判的に言及した。
とくにこのNHKの放送の場合は、日ごろから「中立公正」をうたい文句にしているから罪が重いのだが、「新・日本人とユダヤ人」と題するその番組では、%本は第一次大戦時から人種差別主義をとってこなかった、q謫次大戦中も英米などとは違って、日本政府はユダヤ人を差別しなかった、ャ潟gアニアでユダヤ人数千人にビザを発給した領事(代理)、杉原千畝氏の行為は日本政府の外交方針であった、сダヤの財閥や大学者たちが日本国籍をとらないのは、日本の税金が高いためであり、税制を改め、ユダヤ人の金持ちたちに「日本人」になってもらおう、などという、荒唐無稽(こうとうむけい)な主張かつ歴史の捏造がなされたのであった。
このNHK番組についてはいずれの場所でもふれたが、とりわけサイモン・ヴィーゼンタール・センターの聴衆で三○人あまりのアウシュビッツの生き残りの人たちは涙を流して怒りを表明していた。
さて今回の渡米の主要目的である「メディア会議」であるが、日本にあるメディア・情報関連の研究者の集まりである「マス・コミュニケーション学会」や「情報学会」の発表の多くが政府と産業界への協力、あえていえば社会的強者への迎合的色彩を色濃く持つようになりつつあるのにくらべ、アメリカのそれは時代と斬りむすぶテーマを積極的に採り入れていた。
そのことは招待者リストにも顕著で、シンガポールの上級相リ・カンユー氏がハリウッド型の娯楽主義を批判し、国家によるインターネットのポルノ規制を宣言、タイの外相スリン・ピッツワン氏が教育メディアの長期的影響を体験的に分析、中国朱首相政権の国際広報局長グ・ヤオミン氏が中国政府の政策がメディアの主体性に期待する社会改革路線に転換したことを報告。
それに米軍アジア太平洋方面最高司令官ジョセフ・プルーハー氏が軍の役割が民間人の話し合いの場を確保するためだけに存在すると主張するなど、私たちメディア専門家を加えた活発な議論となり、すくなくとも現実世界と対立しながら有効な社会的合意点をさぐるメディアのあり方の議論として刺激的であった。
いうまでもなく、メディアは情報を社会的に流通させることによって人びとの世界観と世論をつくる。同時に、長期間にわたって社会構成員の人格としての善悪の判断基準まで形成するから、もしメディアが社会の一定勢力に利用され操作されれば大変なことになる。
だが、現在のメディア、とりわけ先進諸国のそれは≠bM出稿企業の思うがままの番組内容と編成に象徴的な「大広告主の意見表明の場」l竓y主体で非政治的な民放の利益追求と政府・政権政党に影響されやすいNHKのような組織体質の悪弊という特徴がますます顕著になりつつあり、それらに対してかろうじて有意の市民と学者による素朴な抵抗がおこなわれているのが現状である。日本ではそれらにくわえて、ヰ謠qしたNHK番組を典型例とする「天皇制資本主義」思想の強化と国家支配の台頭という現象まで出てきている。
戦前のメディア統制は国家権力による強制であったが、現在のそれには娯楽の過剰供給と、「サリン事件」(九五年)、「O(オー)157問題」(九六年)、神戸少年連続殺傷事件(九七年)、和歌山カレー事件報道(九八年)と、オーディエンス(読者・視聴者)はふりまわされ、ほんとうに必要な社会理解のための情報摂取(せっしゅ)から遠ざけられるという構造がある。
その点、今度のアメリカでの会議は社会の強者・権力層がどういう情報発信をのぞみ、研究者たちがその危険な側面を指摘するという対立のなかにメディアの現在を把握し未来を展望するという討論の場となった。
開会の辞で、主催者を代表してポモナ大学長のピータ・スタンレイ氏が「本日からはじまる会議は小さな都市の小さな規模のものではあるが間違いなくこれからの世界を変えていくものになる」とのべたが、それが単なる気負いとはいえないほど、今後の日本のメディア研究のあり方にも示唆の多いものであった。
(同志社大学教授)
略歴 わたなべ・たけさと 1944年愛知県生まれ。同志社大学大学院修士課程新聞学専攻修了。京都産業大学教授を経て、現職。専攻はジャーナリズムの倫理、国際コミュニケーション論。著書に『メディア学の現在』『テレビ―「やらせ」と「情報操作」』『メディア・トリックの社会学』『メディア・リテラシー、情報を正しく読み解くための知恵』など多数。