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寄稿論文

沖縄・竹富島に魅せられて

(写真家・大塚勝久さんに聞く)

(2006年11月7日付)


自然と文化を撮り続けて30年以上
海の美しさと人の温かさ



 沖縄本島から、約400キロ南下したところに位置する八重山諸島。エメラルドグリーンの海の美しさと人の温かさ。竹富島に魅せられ、30年以上にわたって、島の写真を撮り続けているのが写真家・大塚勝久(日本写真家協会会員)さんである。竹富島の魅力などを聞いた。(聞き手・藤原広記者)

島のオバァに助けられ

 ――1972年に沖縄の自然や習俗を撮り始め、73年から、竹富島を撮り続けています。

 もともと、大手自動車会社の宣伝広報マン兼カメラマンとして、ユーザー向けの新聞作りを16年間担当していました。主に、ドライブ旅行の取材で、その土地の歴史や伝統文化、時には祭りや温泉などを撮影して記事にしていました。

 しかし、仕事に没頭しながらも、自分がライフワークにする写真が撮れず、悶々としていたのです。写真家としてテーマを見つけられなかった。72年の本土復帰のとき、初めて沖縄に来ました。そのとき、民宿の親父さんに「南に、もっとすごいところがあるぞ」と言われました。それで翌年夏に八重山諸島にたどり着いたのです。

 ――そのとき、竹富島のオバァに助けられたとか。

 あれがなければ、竹富島を違った目で見ていたかもしれない。炎天下の中、浜辺で夢中で撮影して、集落に戻ってきたとたん倒れてしまった。そこを偶然通りかかったオバァが助けてくれたんです。

 沖縄の言葉で「イチャリバチョーデー(出会えば皆、きょうだい)」。何の疑いもなく、無防備に大切にしてくれる。太陽や海、砂浜、白い雲、そんな自然のすばらしさもあるけれど、それ以上に、オバァに象徴される、人の心のすばらしさにひかれました。

 オバァだけでなく、島の子どもたちも同じです。都会では、知らない大人から声をかけられたら、まずは警戒心を持てと教えられる。しかし島では、遠くに見える子どもたちからも、「おはようございます!」と声をかけられる。

 沖縄本島は、都会化が進んでいるけれど、竹富島や小浜島など離島に行くと、そういう子どもたちに出会って、ホッとします。

皆が一体となり子育て

 ――竹富島では皆が一体になって、子どもたちを育てるとか。

 竹富島の子どもたちは、小学校、中学校を卒業したら、必ず一本立ちして、島から出て一人で生活しなければならない。石垣の高校とか、那覇とか、時には一足飛びで東京、大阪の学校へ行く子どもたちもいる。

 だから、15歳までに道徳教育、お金の使い方、何をしたらいいか、何をしたら悪いか、ということをすべて教え込まないといけない。学校の先生だけでなく、お年寄り、お父さん、お母さん、地域の力を借りて子育てしています。

 そういう島の一体感が、教育界のアカデミー賞と言われる「ソニー子ども科学教育プログラム」で、7年連続受賞となる結果を生み出したのです。竹富島の子どもたちはわずか30人ぐらいですが、7年連続グランプリや最優秀賞などに輝いている。

 ――島の言葉を守る運動も盛んですね。

 この島は、もう20年ぐらい前から人材バンクというのを立ち上げて、テードゥンムニ(島の言葉)ができるオバァやオジィが学校へ行って、島言葉を教えるわけです。

 「ムニバッキタ ウヤバッキ、ウヤバッキタ シマバッキルン(島の言葉を忘れたら親を忘れるよ。親を忘れたら、島<故郷>まで忘れてしまうよ)」という、昔からの言い伝えがあるのです。竹富島の子どもたちは、オジィ、オバァの力を借りて、島の言葉をトレーニングしているんです。

 年に1回、テードゥンムニ大会があり、今年で28回を数えています。保育園児も島言葉でわらべ唄に挑戦しています。こんな中からお年寄りを尊敬し、小さいうちから素晴らしい連帯感、郷土愛が実っていくわけです。

 本土の子どもたちの暮らしは、そういう人間としての基本的なものが否定されたり、忘却の彼方に追いやられていますから、このような故郷の言葉の発表会が大事だと思います。

“人間性の原点回帰”

 ――八重山諸島でも、環境破壊が進んでいます。竹富では?

 竹富島がほかの島と違っているのは、20年前の1986年に、「竹富島憲章」を作ったことです。

 本土から大企業や不動産業者が来たとき、島の長老たちがスクラムを組んで、“売らない、汚さない、乱さない、壊さない、伝統文化を生かす”という憲章をたてに意志表示をしたのです。

 法的には何の根拠にもならないのですが、この憲章によって、赤瓦の家並みが町並み保存地区になり、島最大の祭り・種子取祭が国の重要無形民俗文化財になり、織物のミンサーが国の伝統的工芸品になって、多くの人を島に引きつけている。

 島では「ズンブン(知恵)」と言うのですが、「知恵」を出し合い、伝統文化を表に出すことによって観光収入を得ている。文化が経済を支えている島は、沖縄でもまれです。

 ――大塚さんが竹富島で見つけられたものは――。

 実際、その土地に何を見るかというと、最終的には“自分の心”を見ているのではないでしょうか。人間とはどう生きるのが一番いいのか――私は、その答えを竹富に発見しました。それがなければ、竹富に行っても、「小さな島」にしか思えないかもしれません。

 これからも、竹富島など島々をモチーフに、“人間性の原点回帰”なるテーマにチャレンジしていきたいと思っています。


略歴

 おおつか・しょうきゅう 1941年、大阪市生まれ、沖縄県那覇在住。関西大学新聞学科、日本写真専門学校を卒業。大阪トヨタ自動車の宣伝広報部に16年間在籍した後、沖縄・竹富島の自然や文化にふれて、フリーの写真家に。今年、写真活動による県観光功労表彰を受賞。主な著書に、写真集『南の風』、写真集『うつぐみの竹富島』など、沖縄関係著書20冊。個展は国内34回、米国6回。