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(2006年9月12日付)
大騒ぎ メディア・サーカス反省を |
米コロラド州ボールダーで1996年に起きたジョンベネ・ラムジーちゃん(当時、6歳)殺害事件をめぐり、8月16日、タイの首都バンコクで犯人しか知り得ない情報を告白したということから米国人元教師(41)が容疑者として逮捕された。
当初から同容疑者は、真犯人ではないのではないかという見方もあったが、滞在先のタイからコロラドに移送されDNA鑑定が行われた。その結果、容疑者のDNAがジョンベネちゃんの遺体に残されたものと違うことが判明し、検察当局は28日、証拠不十分で同容疑者に対するこの事件での刑事訴追を見送り、逮捕状を取り消すと発表した。全米のマスコミの注目を集め10年ぶりの解決かと思われた事件の行方は一転、振り出しに戻った。
この間、米テレビはトップニュースとして取り上げ、全米および日本を含む海外のメディアの報道関係者数百人がボールダーに殺到するなど過熱報道が繰り返された。容疑者の供述に不自然さもあったことからメディアは一応慎重な姿勢もみせていたが、「メディア・サーカス(メディアの大騒ぎ)」といった状況は変わらなかった。
この事件の発端は10年前に遡る。1996年12月26日朝、母親がジョンベネちゃんの身代金を要求する手紙を自宅で発見、警察が誘拐事件として捜査を開始した数時間後、父親が自宅地下室でジョンベネちゃんの遺体を発見した。
当初から警察は両親を疑ってかかり、ラムジー夫妻の犯行として捜査を集中させた。地元警察は捜査方針を間違え、実況見分で証拠物件を損傷するなど初動捜査ミスを犯し、「両親は捜査の焦点」と公言したことから両親に疑いの目が向けられた。当局のこうした動きに対して両親は弁護士を立てて警察の聴取を拒否し、PR会社を使って報道機関に対応するなど、事件は次第に「劇場型化」していった。
殺害されたジョンベネちゃんは当時「リトル・ミス・コロラド」「アメリカのロワイヤル・ミス」などのコンテストを総なめにした美少女だった。
父親のジョンさんはコンピューターソフト事業で財を成した富豪で、母親のパトリシアさんも美人コンテストの優勝経験者であったことなど、メディアにとってこの家族は格好の興味の対象となった。
タブロイド紙は「明日にも逮捕か?」などと大げさな見出しで報道し、ラムジー夫妻のことを面白おかしくとりあげ「犯人視」を増幅させた。
当初はタブロイド紙が中心だったが、次第に主流メディアも巻き込まれ、アメリカ中のあらゆるメディアはこの事件を取り上げることとなり、「児童虐待」「子どもへの性犯罪」など集中的なメディア取材で両親は容疑者扱いされ、報道はエスカレートしていった。こうした激しい報道に父親のジョンさんは失職し、一家はジョージア州アトランタに引っ越しを余儀なくされた。
また97年6月、地元警察のコンピューターにハッカーが侵入し、捜査情報が盗まれたり破壊された疑いが発覚した。タブロイド紙はジョンベネちゃんの検視写真や遺体発見現場の写真を入手し、その一部の掲載に踏み切るなど、死者の尊厳を侵害する報道も相次いだ。
同年10月には警察署長が現場保存などの初動捜査のミスを事実上認め、捜査責任者の更迭を発表し、その後、捜査は同州の特別調査チームに引き継がれた。メディアはこうした警察の捜査ミスを検証することなく伝え続け、報道被害は続いた。
そして今回、容疑者逮捕を機に米メディアは「ラムジー家は絶えず警察と大衆の疑惑の目にさらされてきた」「当初から疑惑の焦点は父母に向けられていたが、2人は確固として無実を主張し続けた」などと一転して遺族に同情的なトーンで報道を始めた。
父親のジョンさんはメディアの取材に対し、「自分たちに降りかかったことを考えると、容疑者に先入観を持つことはできない。……私と妻が長い間さらされたようなメディアの憶測に、これ以上エサをやるのを避けるためにも、多くは語りたくない」と捜査当局やメディアへの不信感を表明した。「最も低俗な冤罪」を作り出したメディアへの批判にメディア自身は応えていない。
振り返って日本では、ワイドショーや情報バラエティー番組、ニュースの中で再びジョンベネちゃんの「可憐」な映像が繰り返し流された。事件の経緯や問題点よりも「容疑者」をめぐるスキャンダラスな噂話が伝えられた。そこにどのような報道価値があったのか。メディアの大騒ぎに踊らされない眼を養うことがますます必要になってきている。
(立命館大学教授)
略歴やなぎさわ・しんじ 1960年、長野県生まれ。創価大学大学院博士課程単位取得。(財)電気通信政策総合研究所研究員を経て、93年から立命館大学へ。助教授を経て現職。専門はジャーナリズム論。共著に『情報化と地域社会』『世界のマス・メディア法』、論文に「(外国新聞の概況)北欧」「北欧のNIE事情 社会とかかわり市民として育てる媒介に」など。