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(2006年8月15日付)
英公文書館で未発見の尋問記録を発掘 |
きょうは61年目の終戦記念日。各地で不戦を誓う催しが行われている。ここでは、日中戦争・太平洋戦争に突入する時期に首相を務めながら「優柔不断」で国策を誤ったとされる近衛文麿の再評価を試みた著作『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』(日本経済新聞社)を上梓したノンフィクション作家・工藤美代子さんにインタビュー。同書を巡って、毀誉褒貶の多い近衛と昭和史について改めて考えてみた。(聞き手・野山智章論説委員)
近衛文麿の略歴このえ・ふみまろ 1891年(明治24年)、東京生まれ。華族で、五摂家筆頭である近衛家の当主。爵位は公爵。京都帝国大学卒。第5代貴族院議長。第34、38、39代内閣総理大臣。37年(昭和12年)6月の第1次内閣では、日中戦争の拡大に賛成ではなかったが、断固たる処置をとらず、結果として戦争拡大を許した。41年(昭和16年)7月の第3次内閣では東条英機陸相の対米主戦論を抑えきれず10月に総辞職。終戦後、戦犯に指名され、巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の45年(昭和20年)12月16日、東京都荻窪の自宅で、青酸カリを飲んで自殺した。
――なぜ今、近衛文麿にスポットライトを当てたのですか?
一つは、十数年前に、日本の占領政策に深くかかわったハーバート・ノーマンというカナダ人外交官のことを書いたことがありました(編集部注=『悲劇の外交官――ハーバート・ノーマンの生涯』)。ノーマンが占領軍に提出した「近衛覚書」は、近衛を悪く書いていて、それが引き金になって近衛は追いつめられた。いったい近衛はどういう人物だったのか――その時からずっと頭の隅に引っ掛かっていたのです。
もう一つは、「華族」(編集部注=1884年から1947年まで存在した日本近代の特権的な貴族階級)という存在に対する興味です。今、日本社会に華族はなくなりました。その華族について考えるときに、五摂家筆頭の名門華族である近衛は、象徴的な人ではないかと思い、彼について書きたくなりました。
――改めて「昭和史」を検証する内容ですが、反響はどうですか。
ええ、かなり大きくて、初版で1万部を刷って、発売3日目で5000部、1週間目でさらに3000部の重版となりました。終戦記念日にかかるこの季節は、「日中戦争」「太平洋戦争」という歴史について一番考える時期なのではないでしょうか。また、戦後61年たって、「昭和史」をもう一度見直そうという機運もあるのでは、と感じます。
そう考えたときに、近衛文麿についても、これまで「優柔不断」「弱い人間」等々と決まりきった言い方で片付けられてきたけれども、果たして本当にそうだったのか、見直されるべきではないでしょうか。今だからこそ、曇りのない眼で、近衛の再評価ができるのではないかと思いました。
――しかし、月刊誌『論座』8月号に、第1次近衛内閣の蔵相・賀屋興宣の証言が発掘されていましたが、近衛というのは、「結局、こう行こうとなった時に、どうしようかという結論は出ない人なんだ」との話もあります……。
たしかに、近衛を批判するのは簡単です。ただ、忘れてならないのは、負けた戦争というのは、「あいつが悪かった」「こいつの責任だ」という話になる側面がどうしてもあるということです。「近衛がダメだから」「東条英機が独裁者だったから」と言って済ませれば簡単ですが、日本が戦争の泥沼にはまり込んでいったのはなぜかを、きちんと検証しないといけないと思うのです。
今度の本で詳しく書きましたが、近衛は、驚くほどぎりぎりまでねばって、日米開戦を避けようとしています。自分が直接ルーズベルト大統領に会えないものかとか、本当にあらゆる努力をしていた。さらには、(開戦派の頭目だった)東条を暗殺できないかとか、結果的には実行しなかったわけですけど、そこまで思い詰めていたことは、あまり知られていません。
やはり、戦前・戦中に、日本国内では何が起きていたのか、世界情勢はどうだったのか、ソ連・コミンテルンの陰謀はあったのか……そういうことを包括的に考え合わせて、初めて歴史を正確に認識することができるのではないでしょうか。ですから、近衛についても、簡単に斬って捨てるような扱いは、すごく嫌なのです。
――工藤さんの書く評伝は、対象となる人物に優しすぎるのではないですか(笑い)。
この前も、ある方が「(近衛に)惚れて書いたんでしょう」と言うのです。私は「それはそうよ」と答えました。やはり、対象に惚れていなかったら書けません。私は対象を斬って捨てるということは絶対にしません。自分が高見に立って、冷ややかに描くというようなやり方はしたくないのです。
――本書のハイライトは、工藤さんがロンドンの公文書館で発見した近衛文麿に対する米国の戦略爆撃調査団による尋問記録です。スクープですね。
今年3月のことです。もう「やったー!」という感覚でした。100回近くオーダーをかけて、渡航5日目にとうとう発見したのです。見つかったのは、翻訳すると400字の原稿用紙にして60枚ぐらいになります。スペースの都合で、全部は載せられなかったのが残念です。
これまでも近衛に対する尋問については、児島襄さんの著書『東京裁判』上下(中公新書)などで、砲艦上で尋問されたことは書いてあります。「プリンス近衛」と呼ばれていたのが、いきなり「ミスター近衛」と呼ばれ、すごいショックを受けたとか、近衛は途中で疲れてしまったとか、そういうエピソードの類は紹介されているけれども、肝心の尋問の中身がなかった。
――まさに、「昭和史の棺の重い蓋を開けた」という感じですか。
尋問記録を読んで最も印象的だったことは、近衛が他人への中傷・非難を一言も口にしていないことです。私が、もし近衛の立場だったら、たぶん、「そんなことを言ったって、東条が悪かったんです」とか、「木戸幸一(内大臣)が狡猾でね」とか言っていたと思う。ところが、近衛は絶対に他人の悪いことを言わない。
近衛を書く動機の一つに「華族」への関心がありましたが、戦犯として訴追されるかどうかという窮地に陥っても、いっさい他人の悪口を言わない近衛の態度からは、華族筆頭として生まれた人物らしい“高貴さ”がうかがえます。そこが偉いなと思ったのです。やはり紳士、ジェントルマンだと思うのです。
略歴くどう・みよこ 1950年、東京生まれ。チェコのカレル大学を経て、カナダのコロンビア・カレッジを卒業。著書に『工藤写真館の昭和』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『夢の途上 ラフカディオ・ハーンの生涯<アメリカ編>』『野の人 會津八一』『香淳皇后』『黄昏の詩人 堀口大學とその父のこと』など多数。