

(1998年8月22日付)
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マスコミの“大国主義”がアジア蔑視の風潮招く 欲しかった精緻な分析と深みのある記事 |
七月下旬、カンボジアの総選挙が約五年ぶりに行われた。
前回の選挙は九三年五月、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)による選挙で、日本からはPKO協力法に基づいて一年前の九二年九月から、自衛隊六百人が二期にわたって派遣された。同時に文民として、選挙監視要員四十一人が、選挙に合わせて派遣された。私もその一員だった。
選挙準備が最終盤に入った九三年四月、日本人の国連ボランティア、中田厚仁さんが何者かに銃殺されるという事件が起きた。以来、日本中は蜂(はち)の巣をつついたような騒ぎとなった。その後、五月の連休中になると、日本人の文民警察官が乗った車両が襲われ、五人が死傷。岡山県警から派遣されていた文民警察官の高田晴行警部補が死亡するという出来事が重なった。
日本政府が派遣する選挙監視団はその直後の五月半ば、日本を出発する予定だったので、マスコミをはじめ、選挙監視員への反応は敏感だった。だれが名簿を渡したのか、日本の新聞社からは監視要員に対して、個別に取材の電話が相次ぐようになった。私のもとにも「どうするんですか」との新聞記者からの取材や、PKO法に反対する運動関係者から、参加を棄権するように求める電話がかかってきた。
結局、予定数に満たない四十一人が選挙監視員としてカンボジアに向かうことになった。現地入りしてからも、日本人記者による取材攻勢は続いた。当時のカンボジアは、PKOがらみでの取材であり、日本から自衛隊の数ほどの記者が訪れたともいわれている。
ただ、多くの記者が取材した割には、当時のカンボジア報道は、自衛隊の動向を伝えるものなどが主流で、いわゆる日本人の立場に偏った報道が多かったように思う。やはり、日本の新聞である以上、同国人の動向に関心が集まるのは当然だが、カンボジアPKOが鳴り物入りの国際的実験の割には、ドメスティック(国内向け)な報道という印象はぬぐえなかった。
翌年、南アフリカ共和国で、初の全人種参加の選挙が行われた際も、日本政府は二十数人の選挙監視団を派遣した。うち七人がカンボジア経験者であった。世界でも歴史的な選挙であったにもかかわらず、日本のマスコミの関心度は低かった。取材に来たのは、私が知る限り、共同通信の記者一人であった。カンボジア選挙とのあまりのアンバランスさに戸惑ったのは私一人ではなかっただろう。
もともとアフリカには、全国紙でも二、三人の記者がいる程度で、その人数でアフリカ大陸のニュースをカバーしなければならない。アフリカはそれだけ情報発信という意味でも日本からは遠いのである。
日本政府が派遣した選挙監視でいえば、これまでカンボジアや南アのほかに、モザンビーク、エルサルバドル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、イスラエルなどに、政府派遣の監視団が派遣されている。その中で、日本人選挙監視員の動向が随時、ニュースで取り上げられたのは、今回の選挙を含め、カンボジアだけだった。
今回、五年ぶりのカンボジア選挙には、日本政府から三十二人の選挙監視団が派遣された。公務員六人、民間二十六人、うちUNTAC経験者が九人といった顔ぶれだったが、監視団がいつ出発して、どういう日程で監視活動を行い、いつ帰国したといった程度の記事は随時掲載された。
それでも今回の選挙に関して日本でなされたカンボジア報道は、首都のプノンペンで得られる開票速報的なニュースや、各政党の要人に関するニュースが多かった。目立ったのは一般的な分析記事や、選挙監視団の動向を伝えるものである。いわゆる専門記者による、深みのあるこれはという記事には、残念ながらお目にかからなかった。
五年前、日本人記者が砂糖に蟻(あり)が群がるようにあれほど集まったタケオ・キャンプ(自衛隊宿営地)も、現在それがどうなっているのか、それを取材し、分析するような記事にさえ出くわさなかった。いったい日本のアジア報道に何が欠けているのか。
私が尊敬するあるジャーナリストは、アジア蔑視(べっし)の風潮が、マスコミ界にもあると指摘する。外信部記者にはワシントン特派員やニューヨーク特派員を目指す傾向がある。ほかにいえば、ロンドン、パリ、北京、モスクワだ。外務省が大使館をランクづけする際、先進国を格上とみなすのと同じように、特派員にもそうした序列めいたものがあるのだという。いわば、マスコミにおける“大国主義”である。
反面、アジアや中南米、アフリカといった第三世界地域では、だれが行ってもそこそここなせるといった感覚がマスコミ内部にあるらしい。現地語も学ばず、英語で取材すればいいというのは“驕(おご)り”そのものだとそのジャーナリストは憤っていた。最近は、若い記者の間ではこうした風潮も変わりつつあるという。
本来、「報道」と「外交」とは別の物である。マスコミは大国を尊重するだけでなく、小国の視点で、情報を伝えてもらいたいものだ。そもそもジャーナリズムは、弱者・少数者の代弁者として存在するのだから。(ジャーナリスト)