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寄稿論文

ドイツから日本のW杯報道を考える サッカーの土壌とメディア

(在独ジャーナリスト・見岩文良)

(2006年7月11日付)


支える人の厚み増す努力を

各世代が束になる強豪国のファン層



“戦犯”探しに躍起のマスコミ

 豊かな実りは、豊かな土壌から育まれる。人間も、様々な人間に支えられ、揉まれることによって強くなれる。勝利と豊かさを求めるのなら、まずその大地を深く耕すことから始めなければならないのは当然だろう。

 イタリアの優勝で幕を閉じた、今回のサッカー・ワールドカップ(W杯)ドイツ大会でも同じことが言える。日本代表が期待通りの活躍をしなかったとして、各メディアは原因探し、“戦犯”探しに躍起になっている。

 だが、主催国であるドイツで今大会を体験した一人としては、選手一人ひとりの力量や監督の采配、果ては品行や運不運を問うことは、あまりにも些末に感じられてむなしい。

 根本的な原因があるとすれば、それはサッカーを支える人の厚みが、世界の強豪と日本とではまったく違うということだ。その厚みを増す努力を怠ってきたメディア自身の責任こそ、最も問われなければならないのではないかと思う。

 その「厚み」とは何か。ベルリンのブランデンブルク門前にある「ファンマイル」に行って、世界のサッカーファンに混じれば、それは明らかだ。

 世界の強豪と言われるブラジルのファンを見るといい。その多くは一家総出で見に来ている。おじいちゃん夫婦と息子夫婦、孫の三世代というのもざらだ。ブラジルほどではないが、ドイツも家族連れが多い。親子でドリブルをしながら会場に向かう姿をしばしば見た。目尻にしわの寄った50代、60代がユニホームを着て拳を上げるのは当たり前。白髪のご夫婦もビールを傾けながらW杯の雰囲気を楽しんでいた。

真の大衆化阻むタレント路線

 要するに、世界の強豪は各世代が束になってかかっているのだ。サッカーを取り巻く家庭の光景も自ずから想像できる。すなわち、祖父母からはサッカーにおける祖国の偉大な足跡を聞かされて「知」を養い、父母からはグラウンドへと背中を押されて「体」をつくり、一流選手のプレーにあこがれながら、子どもたちはボールを追いかけて「技」を磨くのだ。若い才能の伸びないわけがない。

 当然、メディアの報道も、すべての世代が楽しめる構成になっている。ドイツのテレビに出てくるサッカー解説者と言えば、ゲルト・ミュラーやギュンター・ネッツァーなど、1960年代から70年代に活躍したベテランぞろい。スタジオでの話題も古今東西の例や長年の経験から説き起こした深いものとなり、若いばかりのタレントを起用する隙間すらない。

 試合を中継するアナウンサーも極めて冷静だ。時には放送事故かと思うほど長い沈黙が続く時もある。一流の試合が目の前で行われている時に、余計な説明は必要ない。そういう解説は、むしろテレビの前で親が子に語り聞かせていることだろう。

 実際、ドイツの新聞社は過去のW杯について記した「全集」を発刊している。次世代に継ぐ知識としても、サッカーを語る言葉があふれているのだ。

 世代の総力戦で戦っている相手に、いまだ若者だけの文化にとどまっている日本のサッカーがかなうわけがない。その意味で、サッカーを若者の専有物とみなし、他の世代を顧みない日本のメディアの罪は大きい。

実に“引き出し”多いスポーツ

 若者にしか名の知られていない芸能タレントを起用し、「がんばって」と言わせるだけでは、他の世代の興味を引き続けるのは無理というものだ。お祭り騒ぎで一時的には耳目を引いたとしても、サッカーへの親近感が沸くきっかけとなるかは疑わしい。サッカー報道におけるタレント路線が批判されるのは、それが視聴率にこびた大衆迎合だからではない。実態はその逆で、むしろ、大衆を味方にできなくしてしまっている点に問題の深刻さがある。

 日本のサッカーは歴史が浅いとの言い訳も通用しない。70年代からドイツ・ブンデスリーグで活躍した奥寺康彦氏がいる。メキシコ五輪で銅メダルを取った栄光もある。さかのぼれば、1936年のベルリン五輪では、優勝候補のスウェーデンを破った「ベルリンの奇跡」がある。誇るべき歴史を資料室の片隅でほこりだらけにしていたのはメディア自身だ。

 さらに、サッカーは単なるスポーツにとどまらない。サッカーを通じて世界のさまざまな問題が見えてくる。今大会がW杯で初めて地球温暖化ガス排出ゼロを目指した「環境W杯」であり、その淵源が日本で行われた「京都会議」にあることを、どれだけのメディアが取り上げたのか。W杯公式行事のストリートサッカー大会で、イスラエルとパレスチナの若者が合同チームを組んで戦っている姿を、どれだけの日本の読者や視聴者が目にしただろうか。

 サッカーは実に引き出しが多いのだ。それを報じないとは、潜在的な興味を殺しているのも同然だ。日本サッカーの厚みを増すことに、これほどの損失はあるまい。おばあちゃんが孫とテレビを見ながら語り合う。サッカーでそんな番組が日本で現れる時こそ、日本代表が決勝に進む日だろう。

 (在独ジャーナリスト)