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(2006年5月9日付)
楽聖を祭り上げない多様性は評価 |
今年はモーツァルト(1756〜91年)の生誕250周年である。1991年に没後200年記念祭が盛大に催されてからわずか15年だが、人気にかげりはない。生地のザルツブルク音楽祭が22にも及ぶオペラとオラトリオのすべてを一夏で上演し、演奏会総数は年間4500に達するのをはじめ、楽聖の作品は欧州各国でジャンルを問わず、こぞって取り上げられている。筆者の住むフランスでも事情は変わらない。
昨年末からは専門音楽雑誌はもとより、「レクスプレス」や「ヌーベルオプセルバトゥール」といった、一般週刊誌までが特集号を組み、日刊新聞もさまざまな角度からの記事を掲載している。
目に付いたのは「レクスプレス」誌のモーツァルト特集号に掲載された「モーツァルトは最も偉大な作曲家だったか」というインタビュー記事である。
音楽家や作家がこの問いに答えているが、回答者の一人はポピュラー歌手のフランソワーズ・ハーディー。「モーツァルトの音楽はおとなしすぎ、軽すぎる。ピアノ協奏曲K488番のアダージョ以外は全く心を動かされない。ブラームスのピアノ協奏曲2曲があれば、モーツァルト作品のすべてがなくてもかまわない」と一刀両断である。
作家のミシェル・トゥルニエも「偉大な音楽家といえば、バッハです。モーツァルトは成熟しなかった」とつれない。日本の音楽雑誌で同種の企画を読んだが、回答者は揃って楽聖を祭り上げていた。フランスでは大勢に逆らっても、自分をあえて主張する。また編集する側も意見の多様性に配慮している。
同誌の「ザルツブルク神殿の商人達」と題された記事は、モーツァルトグッズの氾濫を分析している。ザルツブルク商工会議所のヘルベルト・ブリュッガー会頭はその中で「モーツァルト商標は50億ユーロに値します。市の観光収入だけで年間5億ユーロになります」と語っている。
旧市街にある小さな菓子屋フュルストが楽聖の生誕100年を機会に作ったチョコレート菓子「モーツァルトクーゲル」は楽聖の名を冠した製品の走りだろう。今ではモーツァルト商品を500種類以上、生産する専門の会社さえある。
ホテルも負けてはいない。ザルザッハ川に面したホテル・シュタインには18世紀後半の家具をそろえた「パパゲーノ」や「魔笛」という名前の「モーツァルト・スイート」がある。「ザルツブルクがモーツァルト・テーマパークになってしまう危険さえある」と懸念する地元の声が出るのも当然だろう。
今年に入って有力指揮者のニコラウス・アーノンクールが「最近のモーツァルトの商品化はたえがたい」と批判したことも思い出される。
こうした中で今年に入って、大きな論争が巻き起こった。事の起こりは昨年秋にオランダのレコード会社ブリリアント・クラシックスが約600曲、170枚のCDが入ったモーツァルトレコード全集をわずか99ユーロ(約1万4000円、一枚当たり80円)で発売したことにある。クリスマスのプレゼントに最適と多くの日刊紙が推薦したことも手伝って、フランスではマドンナに次いで売れ行きが第2位を記録した。発売後2カ月で1200万枚が売れたという。
これに対し、レコード会社ナイーブの社長が「クラシック音楽の録音は費用がかかる。このような低価格でCDが発売されると、新しい録音ができなくなる」と激しく批判。これに輸入代理店社長が「停滞しているクラシックレコード市場に対する新しいアプローチだ」と反論。賛否両論が日刊紙「ル・モンド」や「フィガロ」といった有力紙で戦わされ、音楽関係者にとどまらず多くの人々から反響が寄せられた。
記念祭の表面的な熱狂ぶりに対しては、日本でも海老沢敏氏が「私にとってモーツァルトは売薬ではない」と批判している。
フランスのモーツァルト研究の第一人者であるミッシェル・ノワレ国立科学研究院主任研究員に話を聞いた。
「何よりも問題なのは、モーツァルトについて語る人の多くが、彼が18世紀人であったことを忘れていることです。当時は浪漫主義が広がった19世紀とは違って、作曲家が自分の主観を作品の中で表現することはなかったのです。モーツァルトが残した膨大な書簡のすべてを読み返しても、どこにも心境と作品とを結びつけている個所はありません。『夭折した不遇な天才』というステレオタイプを念頭に置いて、モーツァルトの博愛主義や寛容さ、宗教思想を語っていますが、それには無理があります。彼のオペラの台詞は台本作家が書いたのであり、その文は作曲家のものではないからです」
こうした「誤解」は非常に根が深い。「また、モーツァルトは『芸術家』の止むにやまれぬ内的欲求により、ゼロから霊感によって曲を創造したのではありません。貴族や町人から作曲の依頼を受け、その注文に応えるために作曲したのです」
日本で仏師が寺から頼まれて仏像を彫ったのと同じであろう。「彼の天才は『職人』として、依頼者だけではなく、階層や教養のことなる多様な聞き手にいずれも喜びをもたらそうとして常に努力し、それを実現したことにあります」
モーツァルトに近づく最高の道は、マスコミが作り上げた「天才幻想」を超えて、一人ひとりが静かに彼の音楽に耳を傾けることなのではないだろうか。
(音楽ジャーナリスト)
略歴
さんこう・ひろし 1961年、神戸生まれ。86年渡仏。パリ第8大学で音楽史を学ぶ(博士課程1年修了)。「世界週報」「グラモフォン・ジャパン」などに欧州の音楽、演劇について寄稿。著書に『フランス音楽の旅』(音楽之友社)がある。