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(2006年4月4日付)
幕末、初代英国総領事の通訳で帰国果たす |
幕末、初代駐日イギリス総領事オールコックの通訳として帰国したダンケッチこと伝吉は、紀州生まれの船乗りだった――。「すでに有名な人物は書かない」をモットーに、世に忘れられた人物を掘り起こしてきた和歌山市在住の作家・神坂次郎氏が、このほど長編歴史小説『漂民ダンケッチの生涯』を出版した。国内外で膨大な資料を収集し、遭難・漂流という過酷な運命に弄ばれた若者の生涯を愛情豊かに浮き彫りにした著者に話を聞いた。
(聞き手・野山智章論説委員)
<文政7年(1824年)、紀州・有田川のほとりで生まれた伝吉は海に憧れて船乗りになるが、2度の遭難と漂流を体験。1度目は八丈島で過ごし、2度目は米国の帆船に救助されて、サンフランシスコ、上海、マカオなどで暮らす。安政6年(1859年)、マカオで出会ったオールコックに請われ通訳として帰国。英日の条約批准書交換の儀式に立ち会う“栄光”もつかの間、攘夷浪人に暗殺され非業の最期をとげる>
◇
――30年近くも執筆の構想を温めてこられたそうですが。
ええ、昭和53年(1978年)に、産経新聞の夕刊連載の一つとして伝吉を書いたのが最初です。
――伝吉の生家と神坂さんの生家は、すぐ近くだったとか。
はい。私の実家は有田川のほとりにあり、徳川時代から材木問屋として紀州藩の御用をうけたまわっていました。対岸に伝吉の生まれた村があり、少年時代から彼の生地を見ていたこともあって、特に興味がありました。
私は和歌山県に縁のある人物を描いてきましたが、あまり有名人は書いたことがない。例えば、徳川吉宗の執筆を出版社から依頼されたのですが全部断りました。在野の細菌学者・南方熊楠のことを書いたのも、彼が有名ではなかったからです。
――熊楠は神坂さんの作品でブームになりましたね。
南方熊楠を書くのにも30数年かかっておりますが、彼は私の小学校の大先輩なのです。熊楠の思想は「一視同仁」「万物共生」――すなわち、大きな木も、根方に生えているカビのようなコケも、皆が同じ価値を持っている、皆が共に支えあって生きているというものです。
『漂民ダンケッチの生涯』では、人間も同様ではないか、本来そうでないところがおかしい、ということを書きたかったのです。それで、最初の漂流でたどり着いた八丈島の人々の「高低(たかひく)なし」という、身分の隔てのない暮らしぶりを克明に描きました。伝吉の生涯を素材にするなら他の部分にもっと光を当てるべきかもしれませんが、むしろ「高低なし」が、この小説のハイライトになっています。
<流人の島・八丈での生活について「公家も大名も侍も、船乗りも百姓も、盗っ人もスリも、講釈師も役者も女郎もおるが、みな高低なしに仲よう暮らしておった」と伝吉に語らせている>
――ところで漂民ダンケッチに、今の世相に通じる時代性を感じます。
いわゆる学校に行かず、就職もせず、漂っている若者たちがいますね。「ニート」と呼ばれるそうですが、困ったなと思います。就職することがよいと単純には言いませんが、これでは、まさに人生の漂民です。実際、都会の繁華街を歩いてみると、漂っている若者をたくさん目にします。そういう人たちに、嵐の海、時代の波に翻弄されながらも向上心を持ち続け、幕末の日本とイギリスの交流史に突如その姿を現した伝吉のような男がいたことを知ってほしいですね。
<2003年、創価学会和歌山文化会館でユダヤ人虐殺の歴史を伝える「勇気の証言――アンネ・フランクとホロコースト」展が行われた際、来賓として出席した神坂氏は次のように語った。「亡くなった方々は発言できない。誰かが語り継がなければならない。展示が訴えるように『忘れない』ことが大事です」と>
――とりわけ、どの部分を描くことに力を込められましたか。
伝吉は幸薄く生まれました。世の中を生きていくうえでの悲しさ、寂しさを自覚していた。その心境を、小説の中では、鳥でもなく獣でもない「蚊喰鳥=コウモリ」と表現しました。彼は、訴えるところもないような心の冷えを抱えながら、マカオの言語学者ギュッツラフ博士のもとで、がむしゃらに英語を勉強した。なぜかと言えば、言葉が分かれば人の心を知れると思ったからです。言葉とは一種の心の脈拍です。
――それにしても伝吉の生涯は壮絶とも言える苦難の連続です。
およそ漂流民の生涯はずいぶん悲しい。やくざになったり、アヘン中毒になったり、ほとんどが無名のままでつぶれている。人生の裏ばかり見て、ひどい目にいっぱい遭う。叩かれ、蹴飛ばされ、踏みにじられると、人間はねじ曲がり、目先の安易な道に走ってしまう。「艱難汝を玉にす」というのは、本当に希有な例です。だから私は、世に一流と言われる有名人よりも、すごい男が書きたい。すごい女を書きたい。希有な人でありながら埋もれているのは、もう、無念でならないのです。
取材メモ文学の師の教え「紙碑をつくれ」
3月28日、和歌山市内の閑静な住宅街にある神坂氏の仕事場でインタビュー。そこには、文学の師・長谷川伸から贈られた「命を造るものは天なり、命を立つるものは人なり」との書が掲げられていた。長谷川伸はまた、無名の人物の「紙碑をつくれ」とも。男子の一生の仕事として、庶民の中から珠玉のような人士を掘り起こし、現代に生きる人の糧にしようという気迫に圧倒された。
略歴 こうさか・じろう 1927年、和歌山市生まれ。学業半ばで東京陸軍航空学校を志願し、特攻編成基地の知覧、小牧を転戦し終戦。戦後、演劇関係を経て帰郷し、土木技師の傍ら歴史小説を書き始める。82年、『黒潮の岸辺』で日本文芸大賞。87年、『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』で大衆文学研究賞。02年、南方熊楠賞を受賞、熊楠ブームの火付け役となる。このほか、ロングセラーとなっている『元禄御畳奉行の日記』、特攻に散った戦友たちの鎮魂を祈る『今日われ生きてあり』(03年、長谷川伸賞受賞)など著書多数。