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(2006年3月7日付)
「他者の痛み」見失った社会から脱却を |
デンマーク紙に端を発した欧州各紙のイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画掲載に対して、イスラム教徒は強く反発し、その抗議行動の一部は暴力に及んだ。アフリカのナイジェリアでは風刺画に抗議するイスラム教徒とキリスト教徒との対立が激化し、同国の赤十字によると本年2月18日からの6日間で少なくとも146人が死亡したとの痛ましい報道があった。
風刺画の掲載は、イスラム社会への意図的な侮辱とするイスラム教徒側と、表現の自由の擁護を主張するキリスト教徒との「文明の衝突」を懸念する声も高まっている。それでは、国際人権規約などの国際法規から、この問題をどのように理解すべきであろうか。
今日の国際法の最も大きな特徴の一つは、人権の国際的保護である。かつての国際法は国と国との法益を調整するための手段であるとして人権一般に関する規則を有していなかった。しかし、全体主義が人権を抑圧する中で第2次世界大戦を引き起こしたことから、1942年1月1日の連合国宣言は連合国の戦争目的として人権の尊重を強く打ち出した。
45年6月、サンフランシスコで署名された国連憲章は人権と基本的自由の尊重を国連の目的の一つにしている。48年12月10日には、国連憲章の人権内容を具体化して、国連総会は世界人権宣言を採択した。さらに、66年には同宣言を条約化した国際人権規約が作成された。
今日では、人種差別撤廃条約や女子差別撤廃条約など個別の人権分野に関する人権諸条約やヨーロッパ人権条約やバンジュール憲章など地域的な人権諸条約も作成されており、国際人権保障は戦争の違法化とともに現代国際法の基本的な特徴となっている。
ところで、第2次世界大戦が勃発して間もない41年1月6日、ルーズベルト米大統領は議会への年頭教書で、戦後の世界は人間にとって欠くべからざる「4つの自由」に基づかなければならないとして、第1に「言論の自由および表現の自由」、第2に「各人が自分自身のやり方で神を崇拝する自由」、第3に「欠乏からの自由」、第4に「恐怖からの自由」を掲げた。その中で、<人権の王様>とも言われるように諸自由の中核をなす表現の自由が指摘され、また精神的自由の中でも基礎的な自由である宗教の自由に言及されていることは注目されることである。
人権(Human right)は権利(right)の一種ではあるが、法令により改廃できるような権利ではなく、「侵すことのできない永久の権利」(日本国憲法第11条・第97条)として、人間として当然に認められるとする「天賦人権」に立脚するものである。人権にかかわる一つの大きな問題は、人権は普遍的な性質を有するものか、それとも地域的な特殊性を有するものかということである。
世界人権宣言採択45周年を記念してウィーンで開催された世界人権会議が採択したウィーン宣言は、「すべての人権は普遍的であり、不可分かつ相互依存的であって相互に連関している」(5項1文)とし、また「人権問題の検討に当たっては、普遍性、客観性及び非選択性を確保することが重要である」(32項)と宣明して、人権が諸国に共通して受け入れらるべき価値として、その普遍性を強調している。
同時に、同宣言は「国家的及び地域的独自性の意義、並びに多様な歴史的、文化的及び宗教的背景を考慮に入れなければならない」(5項3文)ことに言及していることにも留意さるべきである。しかし、とりわけ根源的な人権についての、その普遍性は承認されるところであろう。
ところで、国際人権規約の自由権規約は、その第19条2項で、「すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む」と定めている。このように、自由権規約は表現の自由を規定しているが、それでは例えば満員の劇場で「火事だ!」と大声で嘘をつくことも表現の自由として認められるのであろうか。
同条3項は、表現の自由についての権利の行使には、「特別の義務及び責任を伴う」と規定し、この権利の行使については一定の制限を課すことができるとしている。ただし、その制限は、第1にそれは法律によって定められること、第2に(1)他の者の権利または信用の尊重、(2)国の安全、公の秩序または公衆の健康もしくは道徳の保護、の目的に必要とされるものに限ると厳格な条件を設定している。表現の自由は、民主主義社会において自己を表現し真理に到達し、また政治過程に参画して自己の目的を達成するために不可欠な権利であるが、制約が存在することについて理解する必要があろう。
世界人権宣言は、第1条1文において、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳及び権利において平等である」と規定するとともに、2文で「人間は、理性及び良心を授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と宣明する。自由と平等だけでは個人主義に留まり、場合には利己主義に陥る虞れがある。それを避けるためには、自由と平等に加えて、「同胞の精神」、友愛の精神もなければならないであろう。
本年1月26日の第31回「創価学会インタナショナル(SGI)の日」に寄せて発表された提言「新民衆の時代へ 平和の大道」で、池田SGI会長が、「他者の痛み」を見失った社会から脱却するためには、人類益に立った世界市民を育成し、その連帯を広げてゆく必要があることを強調されているが、極めて重要な指摘であろう。
その後、国連、アラブ連盟、イスラム諸国会議機構(OIC)、欧州連合(EU)等から寛容と対話を求める呼びかけが出されており、このことは人類の理性を示すものとして、また問題の解決にとって非常に好ましい発展と言えるであろう。
(姫路獨協大学教授)
略歴いえ・まさじ 1937年、京都市生まれ。神戸市外国語大学名誉教授。同志社大学卒。京都大学大学院法学研究課程修了。専攻は国際法、国際機構論。国際法学会評議員。世界法学会理事。「地球市民の会」日本支部代表。著書に『国際連合と民族自決権の適用』『新版国際機構』(共編著)など。