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(2006年2月21日付)
偏見と差別感情の解消を |
四国学院大学で「平和学」「国際関係論」「マイノリティー論」を教えるケニア出身で滞日32年のゴードン・C・ムアンギ教授は、明治時代に日本が西欧思想とともに受け入れてしまったアフリカへの偏見や差別感情の解消を訴え、「変化する国際システムにおける日本の役割」を論じる。アフリカにおける創価学会インタナショナル(SGI)の活動の理解者でもある教授に、日本・アフリカ関係の課題やSGIへの評価などを巡りインタビューした。
(聞き手・野山智章論説委員)
――つねづね、「アングロ・サクソンが握る日本の外交政策」という指摘をされていますね。
日本は明治維新のとき、国家のモデルとして英国を選択しました。最初は岩倉具視ら遣欧使節団の派遣に象徴されるようにヨーロッパ全体を見ていましたが、やがて(当時の覇権国であった)英国に絞るという傾向になりました。
そして第2次大戦の敗戦後、GHQによる日本占領を経て、今度は良くも悪くも米国的なるものが支配的になった。現在の日本は、外交政策をはじめ、教育・文化・農業政策などでも、米国の大きな影響下にあります。明治期は英国、そして1945年以降は米国へとギアを切り替えましたが、一貫してアングロ・サクソン系の国が重きをなしています。
――日本は英米という「窓」から世界を見てきたということですね。このことは、日本とアフリカの関係にも影を落としていますか。
ええ。例えば、私が日本に来られたのはケニア出身だからです。ケニアはアフリカの中でも、英国・米国とつながりが深い国で、日本への留学ルートができていた。もし私が(ポルトガルから75年に独立した)アンゴラ出身だったら、京都大学への留学はかなわなかったでしょう。
また、統計を見ると、スーダンでは、ある年から急に日本のODA(政府開発援助)額が上がっている。その背景を調べると、米国がスーダンを大事に扱おうと政策決定したので、日本もそれに合わせなければという配慮が働いていた。
――授業では、「エイズと闘うアフリカ、日本ができる貢献」という個別的かつ切実なテーマも取り上げられていますが。
あまり知られていないけれども、日本とケニアの医療協力(の歴史)は古いのです。私は(74年の)日本留学前、ケニア教育省に勤めていたのですが、そのとき既にケニヤッタ国立病院と日本の医療関係者には交流がありました。とりわけ長崎大学には熱帯医学の有名な研究があり、早くから研究費の援助や日本留学を含むつながりがありました。
エイズの問題に絞ると、エイズが顕在化したのが81年以降です。最近の日本からケニアへの援助としては、ケニア人研究者が自立してワクチン開発や製薬などに携われるように、日本人研究者とパートナー・シップで進むという取り組みが行われています。第三世界のアフリカの中では、特にケニアにメディカル・リサーチ(医療研究)の基盤があったからです。
――ところで、アフリカのエイズ禍を伝える日本の報道には「違和感を覚える」と憤られていますが。
がりがりに痩せているエイズ患者や、あるいは飢饉で死んだというアフリカの人々の写真が頻繁に出てくる。それを見るたびに、すごく思うのは、(同じ)人間同士として見ていないのではないか、ということです。「日本だったらあり得ない」というように、どこかアフリカを突き放して見ているなと感じます。
安易に、苦しむ患者や死体の写真を出すことはどうかと思います。たしかに報道によってアフリカの実情が伝わり、飢餓やエイズに対する援助を行ってくれることはありがたいのですが、アフリカをそこまで辱めないと、それができないのかとも思うのです。これは、人間的な“センス”の問題です。
――ムアンギ教授はナイロビ大学出身で、創価大学とナイロビ大学、創価学会とケニアとの交流関係についてもよくご存じだそうですね。どういう印象を持っていますか。
85年ごろ、当時、ナイロビ大学に赴任されていた土屋哲・明治大学名誉教授(専攻はアフリカ文学、創価大学でも教壇に立った)が、「自分はもう日本に帰るから後任にムアンギ君はどうか」と声をかけてくれました。そのとき私は(政治的理由のため)ケニアに戻れない状況で、その件は実現しませんでしたが、後に、土屋教授とは何度かお会いし、ナイロビ大学と創価大学との学術・教育交流についても知ることになりました。
創価学会については、日本の仏教団体の中で、アフリカでは一番行動的であり、ケニアでも大事なかかわりをもっていると思っています。私は昨年8月、南アフリカを訪れたのですが、現地で素晴らしい援助活動を行っている日本人女性が創価学会のメンバーなのです。彼女は献身的にスラム地区の子どもたちの面倒を見ていました。今回の訪問で初めて彼女が会員であることを知ったのですが、本当に、創価学会のプレゼンス(存在感)はすごい。こうした人たちの活躍は、もっと知られるべきだと思います。
――最後に、本紙「声の欄」(昨年11月26日付)に掲載されたのですが、大学院の授業で、女子学生が「社会変革と人間革命」という発表をしたそうですね。
大学院の国際平和学の授業の時間でした。彼女は私のゼミ生で、いよいよ修士論文のテーマを考えねばならない時期にあたっていました。
それで(試論として)、創価学会初代会長である牧口常三郎の教育哲学と、タンザニア初代大統領のジュリアス・ニエレレの教育哲学、それにラジオ放送を通した識字教育で有名な(ブラジルの)パウロ・フレイレ、それらを統合することは可能かということを、彼女に発表してもらったのです。
さらに、私が今、『仏教と平和』という本を書いているということもあり、彼女の論文テーマは私にとっても興味深いものでした。余談ですが、学部のゼミ専攻シラバス(案内)に「仏教と平和」というゼミの方向について書いたら、話を聞いて自分もと、創価学会メンバーの学生が応募して来ました。ますます、“創価学会ゼミ”になりそうです(笑い)。
略歴Gordon.C.MWANGI 1946年、ケニア生まれ。74年に来日し京都大学大学院博士課程修了後、京大アフリカ地域研究センター研修員などを経て、90年、四国学院大学助教授。現在は同大学の応用社会学科科長で教授。主な論文に「ケニヤにおけるフェミニストの課題――優先課題は女性の『エンパワーメント』」など。