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寄稿論文

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サッカーW杯フランス大会「日韓共同応援ふれあいツアー」参加記

姜 誠
(ルポライター)

(1998年7月25日付)




2002年大会の成功へ“草の根(サポーター)”の試み

「分催」「競催」でなく「共催」の理念確立を


日の丸と太極旗並べて声援も

 六月二十四日から二十九日まで、私は在日本大韓体育会が主催する「日韓共同応援ふれあいツアー」に参加した。日韓両国の共催となる二〇〇二年W杯を成功裏に迎えるため、まずは日韓のサポーターがいっしょになってお互いの代表チームを応援し、友好を深めようというのがこのツアーの目的である。

 もともと、二〇〇二年W杯の日韓共催は両国の発議と合意によってもたらされたものでなく、会長選をめぐるFIFA内部の権力闘争が生み出したものだ。そのため、あくまでも単独開催を目指していた日韓のサッカー協会関係者の落胆は大きく、「共催と思うからいけない。二〇〇二年W杯は出場三十二チームのうち、日韓が十六チームずつのゲームを引き受ける分催W杯と考えればよい」という発言も飛び出る始末だった。

 おまけにここ数年、従軍慰安婦や竹島(独島)の領有問題、さらには日韓漁業交渉などで、日本と韓国の間はギクシャクとした関係が続いている。これでは共催の成功などおぼつかない――。そう心配していた私にとって、日韓の草の根レベルから交流を積み上げ、二〇〇二年W杯を成功させようというこのツアーの誘い文句はとても魅力的に映った。

 その期待にたがわず、ツアーでは数々の貴重な交流が実現した。日本対ジャマイカ戦、韓国対ベルギー戦で、共同応援団は日の丸と太極旗のふたつを並べて応援したが、旗を広げるたびに日韓のサポーターの間からは大きな称賛のどよめきが起こった。

21世紀にふさわしい両国関係の萌芽

 日本対ジャマイカ戦を観戦していた土金久さん(26)もこう言う。「共同応援団のことはニュースで知っていましたが、こうやって韓国サポーターが実際に日本チームを応援している姿を目にした時は、本当にありがたいと感じました」

 韓国対ベルギー戦が行われたパルク・デ・プランセ・スタジアムでは、太極旗と日の丸がひとつに結ばれるという光景も出現、多くの韓国人サポーターを感激させた。

 この時、日の丸を持っていたのは静岡県からツアーに参加した塩暢夫さん(61)だった。「私は日の丸の端っこを握っていたんですが、ふと気づくと、隣に韓国人がやはり同じように太極旗の端っこを持って座っていた。だったら、日の丸と太極旗をつなげてしまえと、ふたりで旗の隅同士を勝手に結んじゃったんです」

 日の丸に対する韓国人のアレルギーぶりを考えれば、この日、韓国サポーターが見せた反応は異例と言ってもよいだろう。

 神奈川県からのツアー参加者、渡辺夏紀さん(32)は応援後、こう感想を語った。「政治家に任せただけでは、日韓関係はよくならなかった。それならいっそのこと、サッカーを通じて日韓が仲良くなる方法を探した方が早い。そう考えると、二〇〇二年W杯は私たちが想像している以上に、日韓の人々にとって大切なイベントになるという予感がするんです」

 まったく、その通りだと私も思う。戦後五十三年間、日本と韓国はきちんと向き合うことがなかった。だが、W杯の共催はその絶好のチャンスを日韓に与えてくれるはずだ。その先に見えるのは、二十一世紀にふさわしい新しい日韓関係である。そして、その動きをリードしているのは、海峡を越えた日韓の若いサポーターたちの軽やかな交流である。

マスコミに問われる想像力、認識力

 だが残念なことに、この共同応援ツアーで実現された日韓交流の成果を報道するメディアはあまりにも少なかった。

 国家の威信をかけて戦うW杯にあって、多国籍、それも過去に、植民地と被植民地の関係にあったふたつの国が共同で応援するというケースは、W杯史上初の快挙である。

 フランス大会では新しい国家像や共同体のあり方を考えさせるケースがたくさんあった。代表チームの半分近くが移民や外国出身者で占めた優勝国・フランスチーム、イギリスとの二重国籍者が七人もいたジャマイカチーム、七九年以来の断交にもかかわらず、試合後の記念写真を双方のイレブン二十二人で撮ったアメリカ、イラン両チーム――。

 日韓共同応援は、東アジアにおける新しい地域協力や共同体のあり方を予感させるものとして、これらのケースに勝るとも劣らない大きな意味を持っている。

 しかし、多くのメディアは日本代表チームの勝ち負けに重点を置いた報道に終始し、共同応援ツアーを単なるW杯のこぼれ話にしてしまった。メディアとして、想像力と認識力に著しく欠けていると思う。

 二〇〇二年W杯を日韓の分催、あるいは“競催”へと向かわせるベクトルはいまだに払拭(ふっしょく)されてはいない。日韓は共催の理念を一刻も早く打ち立てるべきである。そうすれば、北朝鮮での一部開催と言ったアイデアも検討のテーブルに載ることだろう。日韓共同応援ツアーは間違いなく、二〇〇二年W杯を共催へと導く貴重な一歩となった。



略歴カン・ソン 1957年、山口県生まれの在日コリアン3世。早稲田大学卒。東アジア、朝鮮半島問題、日本の国際化、パチンコ産業などをテーマにルポを執筆。「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)、「おはようクジラ」(TBS)などにも出演。著書に『5グラムの攻防戦』(集英社)、『パチンコと兵器とチマチョゴリ』(学陽書房)、『ギャンブルの社会学』(世界思想社・共著)など。