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(2006年1月10日付)
幻の浄瑠璃をバイロイト演出様式で |
能・歌舞伎・文楽などの古典芸能を現代にマッチさせた形で復興させようと2001年に発足した関西楽劇フェスティバル協議会(山折哲雄会長)。21日には、歌舞伎音楽の源流をなす豊後節浄瑠璃を題材とした現代版歌舞伎『豊後掾Bungonojo――享保心中譚――』(全2幕)を特別公演する。ここでは、作・構成を担当した笠谷和比古・事務局長に同協議会の理念と、新作の見どころ聴きどころを巡ってインタビューした。(聞き手・野山智章論説委員)
――今公演は「上方ルネッサンス 楽劇の祭典」と銘打たれていますが。
当初、私たちは関西社会の21世紀はどうあるべきか、東京一極集中のもと、格差は開くばかりの関西の地盤沈下を救う手立てはないかという問題意識から出発しました。そうした中で、関西が太刀打ちできる材料としては、やはり伝統的な文化・芸術資源ではないかと考え、文化・芸術活動とそれに伴う社会的なエネルギーを関西復興の力にしてはどうかという戦略を立てたわけです。
これが「上方ルネッサンス」と呼ぶゆえんであり、関西発祥の能・歌舞伎・文楽を基軸にして、フェスティバル(祭典)という形式で、文化・芸術戦略を展開しようと考えたのが、そもそものきっかけなのです。ただ、それに取り組むうちに、これは関西だけの問題ではなく、日本の問題ではないのかと思い至りました。
――と言うのは?
世界における日本を考えた場合、ちょうど時代はバブル後の「失われた10年」を経てデフレ不況のただなかにあった。そうした日本を元気づけるためには、やはり世界の他の国にはない、日本ならではのものを打ち出すという戦略が必要です。要するに、関西を浮揚させる戦略は、日本全体にも適用されるはずだ、と。
日本の古典文化は海外から高い評価を得ています。能も文楽も世界芸術として評価されている。しかし、それは古典文化としての評価であって、現代文化という形の評価ではない。これを現代の資源という形で積極的に活用するという方法があってしかるべきではないか。日本ならではのものを作ってこそ、日本の文化・芸術も、日本の社会も、パワーアップしてくるのではないだろうか、と。
――まず、公演のタイトルである『豊後掾』についてうかがいます。
享保年間、八代将軍・徳川吉宗の治世下に活躍した宮古路豊後掾という人物は、日本の芸能、音楽の歴史において決定的に重要な役割を果たしている。にもかかわらず、竹本義太夫や坂田藤十郎、市川団十郎のような名前としては残らなかった。
今日、歌舞伎の音楽は、一つは長唄、一つは義太夫、そして常磐津か清元で、この三つを総称して「豊後」と言います。豊後掾は、決して忘れられてはならない人物であって、彼を抜きに歌舞伎を語ることはできないのです。
今作品では、物語の展開上、三つの音楽を使い分けます。旋律的なところは長唄、強く語るような物語性の強いところは義太夫、やや艶っぽい人情ごとは常磐津。これは三方掛け合いと称するものです。この大もとを作ったのが豊後掾です。
京都から出て、人情の機微を謳い上げる新しい音楽を築いた。さらに名古屋にいるときに、独創的な心中浄瑠璃劇をオリジナル作品として作ったのです。その評判は常に江戸まで聞こえたと伝えられています。
――今作は、吉宗の享保改革と豊後節の上演をめぐる軋轢の史実をふまえたドラマだそうですね。
吉宗の政策は本来、「心中物の劇場上演は固く御法度」ですから、豊後節を江戸で上演できるはずがない。ところが享保20年、男女の心中恋愛をテーマとした豊後掾の創作浄瑠璃「睦月連理玉椿」は江戸・中村座で上演されている。昔から音曲史の一つのミステリーになっていました。
私の研究では、江戸の民衆の声に深く接し、幕府政治の政策転換の必要性を痛感していた町奉行・大岡忠相(越前守)の奮闘努力の結果らしいのです。大岡が上申している明確な資料があります。
取り締まり一辺倒ではなく規制緩和すべきだと大岡が繰り返し説いたことによって吉宗も折れ、幕府が政策転換したのが享保20年。そこへ、うまい具合に豊後掾がやってきた。これは歴史の事実に基づいた話なのです。
豊後掾は江戸で大成功を収めるのですが、老若男女、身分の上下を問わず人々が熱狂して、芝居の世界さながらに不義・密通・駆落ちが横行、収拾不能な状態に陥りました。豊後掾は江戸を追放され、後事を弟子の文字太夫(のちに常磐津節を創始する常磐津文字太夫)に託して京都に戻り、4年ほどして病気で亡くなっています。
――見どころは?
享保20年の中村座再現が一番の大目玉です。
270年の間、この浄瑠璃は途絶えて、豊後節はそのあと常磐津となってしまいます。「睦月連理玉椿」は、本編と、心中するに至った由来を語る部分と、心中道行のシーンからなり、本編は新内節として上演されることもありますが、道行のほうは完全に途絶えていました。
この復曲にあたり、作曲を常磐津一巴太夫さん(人間国宝)にお願いしました。豊後節の後進が常磐津ですから、常磐津でやるというのが一つと。一巴さんは大津の出身で、上方の人なのです。彼は現在、邦楽界の最高の名人と言われている人なので、これ以上ふさわしい再現者はいません。
さらに、藤原寿豊、古澤侑峯の両氏に「道行」の舞踊劇のところを演じていただく。所作事と称しますが、この二人は、それぞれの流派の家元で、20分ぐらいの短いシーンですけれど、今回の大きな目玉です。ここだけ取り出して上演しても、興行が成り立つぐらいの大事なところなのですが、今回は劇中劇という形になります。
――作品中かならずしも史実に基づかない部分もありますか。
フィクションとしては、豊後掾が江戸追放のその日、深い恋仲となっていた吉原の遊女・若菜と離別の宴をもうけ、自ら三味線をとって、名残の一節にと「睦月連理玉椿」を語り始めるというシーンを入れました。語るうちに音曲は高潮し、いつしか現実と虚構との境界は溶けおちて、豊後掾と若菜は劇中の心中道行の男女二人に変容していく……。
豊後掾の最期は、やはりこれでなくてはと思うのです。つまり、当時の民衆が想起した心象も一つの真実です。彼が作曲した「睦月連理玉椿」の心中シーンとオーバーラップさせました。
――演出はドイツの方が当たられていますね。
ワーグナー楽劇の第一人者であるマンフレート・フーブリヒトさんに担当してもらいました。実は、文学的テーマとしては「心中」は日本にしかないらしいのです。それを外国の演出家に、いわば普遍的な観点でまとめ上げていただいた。古典を取り入れながら同時に現代を、日本のものを持ちながら同時に普遍をという、楽劇ルネッサンスの理念の具現化と言ってよいかと思います。そこのところをぜひご注目いただきたい。
――最後に、なぜ今、「豊後掾」なのかという点について。
今、231年ぶりの坂田藤十郎の名跡復興が大評判になっています。豊後掾も大体同じころなのです。忘れ去られた豊後節を、もう1回蘇らせたい。藤十郎の名跡復興にあやかったことになるかもしれませんが……。
もう一つは、豊後掾の状況が非常に今日的だということです。豊後掾を取り巻いた享保の時代、規制緩和を求める動きというのが今日的であるという側面があると思います。民衆も幕府も一緒になって苦闘しながら、時代の大きな転換と発展へと向かっていく享保年間後期の状況は、大いに見習うべき部分があるのではないでしょうか。
略歴かさや・かずひこ
1949年、神戸市生まれ。京都大学大学院博士課程修了。文学博士。専攻は日本近世史。江戸時代の政治史研究を通じて、従来の江戸暗黒史観を打破する新たな歴史観を提唱している。88年に『主君「押込」の構造』でサントリー学芸賞を受賞。現在、国際日本文化研究センター教授。
開催事項
日時:2006年1月21日(土)午後7時開演
会場:NHK大阪ホール
問い合わせ:関西楽劇フェスティバル協議会 事務局=電話075(393)6379