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寄稿論文

ロンドン爆破テロ後の英国事情

(明海大学助教授・日野壽憲)

(2005年11月15日付)


国内で高まる反イスラム感情

対立を乗り越え共生への努力を



政府は取り締まり強化へ

 今年7月7日のロンドン同時爆破テロから間もないある日、ロンドンの街角で、一人のイスラム系婦人が3人の若い女性に言いがかりをつけられた。「ビン・ラディンの奥様、ひとつお聞きしてもいいかしら? あなたその服の下に爆弾を隠してるの? バスに乗ったら、それで私たちを吹き飛ばすつもり?」。3人はイスラム女性のヘッドスカーフを剥ぎ取ろうとし、抵抗にあうと彼女の顔に唾を吐きかけた。

 これは英国最大のイスラム組織「英国イスラム教徒協議会」に寄せられた苦情である。ロンドン・テロ発生以後、この類の報告は枚挙に暇がない。ロンドン警視庁の発表では、今年7月7日以後の2週間に管轄内で発生した宗教憎悪に基づく犯罪的行為は200件を超えた。その多くはイスラム住民を標的とした事件で、前年の同時期比で5倍を超える高い数字である。ただ、報復を恐れて警察に通報しないケースも多く、実際の数字は警察発表をかなり上回るようだ。

 当然、ハラスメントの対象となるイスラム住民の不安は根強い。7月下旬には、イスラム研究の第一人者であるザキ・バダウィ教授が、イスラム女性への被害拡大を懸念して、彼女たちが着用するヘッドスカーフを公共の場で外すようにとの呼びかけを行い、イスラム住民の間で議論を呼んだ。

 自爆テロ後の当局による取り締まり強化も、イスラム住民にとっては不安材料である。テロ取り締まりの過程で、彼らが人権侵害をこうむる可能性が高まるからだ。

 これには前例がある。西暦2000年の反テロリズム法公布以後、イスラム教徒が相当数を占める南アジア系住民に対する路上検問が、2001年9月11日の米国同時多発テロの影響もあって、2004年7月の段階で同法公布以前の3倍にも増えた。当時イスラム団体は、これが明らかに偏見と反イスラム感情に基づくものであると非難した経緯がある。

深刻な孤立・疎外状況

 一方、英国初の自爆テロを許したブレア政権は、「テロ行為は絶対に正当化できない」との断固たる決意に立って新たな反テロリズム法案の起草を進め、10月12日に同法案を英国議会下院に提出した。その目的は、テロ行為の扇動・称賛・準備の取り締まりにあり、具体的には、「起訴手続きを経ずに、容疑者の拘束期間を14日から90日に延長」等の8項目を柱に効果的なテロ取り締まりを目指す。

 同法案の内容には反対の声も少なくない。法曹界からは、同法案が成立した際のテロ取り締まり強化が、1998年制定の「人権法」に明記された基本的人権に抵触するのではとの意見があるし、リヴィングストン・ロンドン市長も同様の視点から、同法案の成立に難色を示している。

 英国議会の野党側も法案内容の「容疑者の拘束期間延長」等に異議を唱えており、政府の意図通りには事が運びそうもない。とは言え、『ガーディアン』紙が今年8月に実施した世論調査では、被調査者の7割以上がブレア政権のテロ対策を支持している。同政権は今後、世論の後押しを追い風に野党との折衝を重ね、早期の成立を目指す意向だ。

 イスラム住民の憂慮は、反テロリズム法案の成立にとどまらない。英国社会における彼らの孤立化は、ロンドン爆破テロ以後、一層進んでいるのが実情のようだ。例えば、ジェラルド・ハワース保守党国会議員による、「イスラム住民が英国流の生き方を好まないのであれば、ここから出て行け」との過激な発言は、彼らの置かれた疎外状況を端的に示している。

 イスラム住民の心境を推し量る資料としては、『デイリー・テレグラフ』紙が今年7月下旬に国内のイスラム住民を対象に実施した世論調査が有益であるが、同調査では9割近い被調査者が爆弾テロを非難する一方で、6%がテロリストの行動を全く正しいとしている。また、青年男性に特に疎外感が強いようだ。

女王も寛容と融和訴える

 イスラム住民は、社会的貧困に苦しむ人々の割合が英国内でも最も高いグループである。英国内のイスラム教徒の6割強を占めるパキスタン・バングラデシュ系住民は、低学歴・高失業率・低収入が顕著である。こうした不遇な状況下で育つ若者は、日常的な差別偏見の経験もあって、将来への希望や社会的な存在意義を見いだせずに疎外感を深め、結果、英国社会への反発を強める傾向性がある。この過程で過激派組織への共感を覚え、反社会的行動へと自らを駆り立てる若者が登場したとしても不思議ではない。

 今や英国における人種関係の最大課題は、疎外され、時に反抗的なイスラム青年を、いかにして社会の一員に組み入れ有為な人材として活かすかにある。イスラム青年が騒いだ2001年の人種暴動の苦い経験からしても、取り締まり一辺倒では、人種関係の改善が進まないことは英政府もよく心得ているはずだ。

 ひとつの光明は、今年8月、ヘイゼル・ブリアーズ国務担当大臣を中心とする国会議員が、草の根のイスラム住民と英国各地で重ねた8回に及ぶ対話集会であろう。2001年の暴動発生地オールダムでの集会に出席した、あるイスラム女子学生はこう語った。

 「こうして集まって私たちの意見を聞いてもらうことで、過激派の問題にも対処できるのです。あまりにも多くのイスラム青年が孤立しているのですから」

 エリザベス女王は人種間の不協和音を憂慮され、2004年のクリスマスメッセージで、自らのキリスト教徒としての立場から隣人愛の必要性を説き、寛容と融和を訴えられた。女王がメッセージで強調されたように、人種融和への道のりは平たんではない。ただ、互いが自省と寛容を胸に、開かれた心で粘り強く取り組む形でしか、今の人種的な分離状況が打開し得ないこともまた確かである。

 (明海大学助教授)


略歴

 ひの・ひさのり 1949年、宮崎県生まれ。法政大学大学院修士課程修了。専門は、英米文学及び英語文化圏事情。訳書に『イギリス少数民族史』(共訳・こびあん書房)など。論文に「英国における『イスラム恐怖症』の歴史的展開」「北イングランドにおける人種暴動(2001)――オールダム人種暴動とブラッドフォード人種暴動の事例考察」など。