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寄稿論文

上海文芸出版社から刊行 『狂走日本』

(作家・毛 丹青)

(2005年10月4日付)


“虫の眼”の実感を中国に紹介

体験、等身大、そして日本を走り抜く


違いに「慣れた?」滞日17年

 「狂走」という二文字は、日本と中国で意味が違ってくる。日本語の「走」と同じ文字が現代中国語にもあり、画数も一つとして足りないことはないが、実は両者の意味は全く違う。日本語の「走」は走ること、中国語でいう「■<路のつくりを包>(走る)」の意味であり、かつ「■<路のつくりを包>」という文字は日本語ではほとんど使わない。

 中国語の「走」は歩くという意味だ。日本に住んで久しく、日本語の漢字を使うことが多くなってくると、時にある種の錯覚が生じることは免れない。例えば、中国の友人に、最近日本でどんないい所に行ったんだい? と尋ねられると、私はいつもこう答える。「瞎走!」

 「瞎■<路のつくりを包>!(あちこち飛び回っているよ)」と言おうと思っているのに、私の口は勝手に「瞎走!」と言っているのだ。最初はあわてて訂正していたが、その後、日本での日々が長くなると、これに似たような言い間違いをしても仕方がないと思うようになり、一々言い直しもせずにそのまま話を進めてしまうのだ。

 日本に住み、17年目となった今日、自分ではまずまず豊富な語彙を身につけたと思っている。語彙が増えるにつれ、かえって「走」と「■<路のつくりを包>」は私の中でかなり入り交ざってしまっていて、今では人が走っているのを見ると、頭の中にはすぐ「歩く」が閃く。太陽が照っているのに雨が降るように、雨が降っているのか晴れているのか分からなくなってしまう。中国語は私の大地である。日本語は時に雨のように、絶え間なく私の目の前で動いている。

 こんなふうに日本で暮らす日々と私の言語体験とは深く関係している。「狂走」という言葉を使ったが、実際にはこのようなまとまりのない印象を中国語の「狂」という文字では表現しきれないのである。

 日本はひとつの謎である。理論のうえではもちろん、日常生活においても色々な面白い現象に眼がくらみ、いくら考えてもわからない。ここ数年、私は何回も中国の旅行雑誌の記者とカメラマンを日本に招いて日本を旅している。ところが彼らとの交流も回を重ねると、私自身、違いがあることに「慣れて」しまう。いったん「慣れて」しまうと鈍感になる。

様々な出会いとハプニング

 ある年の年末、私たちは京都を訪ねた。神社での初詣の様子を撮りたいと考えたのだ。まず、神社の宮司に、遠路はるばるやってきたので、なんとか高い場所から撮らせてもらえないだろうかと言った。彼は難色を示して、「新年ですからね、ものすごい人出で身動きが取れないほどですよ。毎年200万人もお参りするのですから、私には何とも……」と答えた。

 そういわれてしまうと、私はそれ以上、無理に希望を通すことが憚られた。そこで適当な写真があればそれを借りてすませようという気になり、「初詣の様子を写真に撮ったことはありますか?」と尋ねてみた。

 すると、彼は小走りで堂内に入っていき、しばらくすると重ねた大きな写真の束を持ってきて私たちに見せた。一枚一枚解説してくれて、とても写真に詳しいようだった。このとき、中国側のカメラマンが突然「あなたが使ったのはライカのカメラでしょう?」と尋ねた。

 宮司は、使ったのはライカのカメラだと即答した。ニコンのカメラも持っているらしいが、どれもプロ仕様のものだ。彼はもともと熱心なアマチュア・カメラマンだったのだ。このことから、カメラマンと話が合い、意気投合し、大晦日の夜には、宮司の配慮で、ある絶妙な高い場所から、多くの素晴らしい写真を撮ることができたのだった。

 またある時、私は東京から北京へ帰るカメラマンを空港まで送ろうと車を運転していた。あれほど何回も成田空港へいったことがあるのに、そのときに限って羽田空港だと思い込んでしまった。羽田空港の出発ロビー前に車をつけたときになって、私は初めて気が付いた。行き先を完全に間違えてしまった!

 そういえば、出発するときに、カーナビの文字盤を押すときすでに「成」と「羽」の文字をまちがえていたのだ。本当に「慣れて」しまって文字に大した関心もはらわずに入力したせいで、うっかり間違えたのかもしれない。幸いにも車を飛ばして、どうにか間に合い、カメラマンは事なきを得たので、私もほっとした。

足元から始まる異文化理解

 「慣れた」という言葉は、褒め言葉の一つでもあるだろう。それは、最初はとても驚いた事柄に驚かなくなったということで、言葉に慣れたということは、もともと見知らぬ言語だったものが、そう感じなくなったということである。とりわけ1998年以降、日本語での執筆に力を注ぎ始め、日本語で日本人を描き始めてから、私の中で「慣れ」が加速した。二つの言語、二つの空間と一人の私という遊離した状態で執筆してこられたのは、贅沢な条件だったと言えるだろう。

 私はかつて自分を虫に例えたことがある。虫は小さいが、光のあるところへ這っていく。虫は遠くを見られないが、細かく見ることができる。目の前の小さな埃さえも、虫の眼をもって見れば、色鮮やかな大きな粒子なのかもれしない。スローガンは好きではないし、小難しい理論も好きではない。私は異文化の理解は足元から始まると思っている。

 日常生活に思い感じることから芽生え、感性の上で昇華するのだ。深く入り込んで相手の文化を等身大でみることは自分をさらけ出すことではなく、他人を理解することだ。同時に私はこの言葉を信じている――「あなたの目に写るのはこの私だ!」。

 (作家)


略歴

 マオ・タンチン 1962年、北京生まれ。85年に北京大学を卒業、中国社会科学院哲学研究所で助理研究員に。87年、三重大学に留学し、その後、日本で水産会社や総合商社に勤務。日本語の著書に『にっぽん虫の眼紀行』(文春文庫)などがある。中国語著書『狂走日本』は2004年末に上海文芸出版社から刊行され、ベストセラーとなった。