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寄稿論文

パン・ヨーロッパ運動とRCK通信

リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーのこと

幼少より『カレルギー伯』に魅せられて

(東北大学助教授・戸澤 英典)

(2005年9月6日付)


グローバルな地域統合の時代に再評価

創価学会はじめ日本とも深いつながり



忘れられかけた“EUの父”

 私がクーデンホーフ=カレルギーの名を初めて知ったのは、7、8歳ごろに姉の本棚から勝手に取り出して読んだ潮出版社のコミック『カレルギー伯』(北野英明・画)を通じてであった。この『カレルギー伯』に存分に描かれていたクーデンホーフ=カレルギー(以下、ク伯)の思想と行動――国境を超越した巨視的な世界政治との取り組み――は私の意識に刷り込まれ、その後の人生に大きな影響を与えたようである。

 10数年を経て、国際政治史を専攻する研究者となった私は、留学先のドイツで不思議な光景を目にした。日本では、「ミツコ」(青山光子)とオーストリア貴族の間に生まれたヨーロッパ統合思想の生みの親として広く知られ、どのEU概説書にも取り上げられているク伯が、ヨーロッパ統合の歴史にまず出てこない。EUに関心のある学生でもク伯の名前を知らず、そればかりかドイツ系の名前ではないから、発音すらできないのである。この彼我の落差は私の知的好奇心を大いに刺激し、ヨーロッパでのク伯の活動およびク伯の日本との関係を、歴史家として検証する作業を始めるきっかけとなった。

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 第1次世界大戦は「ヨーロッパの自殺」とも評される。

 この大戦によりドイツ、オーストリア=ハンガリー、ロシアという三つの帝国が滅びた。また、米国の参戦によって決着がついたことは、ヨーロッパが世界の中心であった時代の終焉を雄弁に物語っていた。また、機関銃や毒ガス、装甲車などの新たなテクノロジーは戦争の性格を一変させた。

 大戦の惨禍の記憶も生々しい1923年、弱冠29歳のク伯は『パン・ヨーロッパ』を出版して華々しくヨーロッパ文壇にデビューした。ク伯の『パン・ヨーロッパ』は、世界を5大ブロックに分け、各々のブロックをまず統合した後に世界平和を目指すというものである。ヨーロッパ統合構想はそれ以前にも数多く存在したが、ク伯の最大の功績は、自ら政治運動を組織し、ヨーロッパ統合を現実政治の場に上らせたことである。

 1929年9月には、パン・ヨーロッパ運動の名誉総裁であった仏首相ブリアンが、国際連盟総会の場で「欧州連邦秩序構想」の演説を行い、ク伯の夢の実現も遠からぬ日のこととすら思われた。

 しかし、折悪しく世界大恐慌の影響から各国の保護主義が強まったこともあってブリアン構想は頓挫し、ナチスの台頭によって、ク伯は米国への亡命を余儀なくされた。

思想と運動の先見性に脚光

 米国亡命時のク伯の活動は、アチソンやダレスといった米国の要人や、チャーチル英首相に大きな影響を与えた。そうした影響を通して、第2次大戦直後のヨーロッパ統合の実現にク伯は直接・間接的に貢献した。

 しかし、1950年代になるとク伯の統合思想とは異質の「ヨーロッパ建設」がフランス主導で展開するようになる。現在のEUの直接の前身となったのは欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)であり、その起草者であるコニャック商人出身のジャン・モネが「建国の父」となった。旧ハプスブルク帝国の貴族階級出身のク伯の統合構想は、ジャン・モネらの推進した西欧統合とは一定の対抗関係にあった。(そのこともク伯の評価が現在の西欧諸国で不当なまでに低い要因であったが)

 ク伯の後ろ盾となるべきオーストリアが戦後「永世中立国」となって統合という外交オプションを封じられたこともあり、次第にク伯は統合運動の周辺的な立場に追いやられることとなった。

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 こうして、1972年の逝去後は特に、ヨーロッパでは「忘却」されていった観のあるク伯だが、近年その再評価が広く見られる。

 その背景としては、昨年5月に実現した第5次EU拡大によって統合ヨーロッパの版図が中東欧にまで広がり、ク伯の統合構想がいよいよアクチュアルなものとなってきたことがある。東西冷戦の終焉によって再浮上したヨーロッパ統合の「全欧」化は、ク伯の思想とパン・ヨーロッパ運動が持っていた先見性を再浮上させつつある。

 また、ここ数年、新世代の歴史家によってク伯の功績の再評価が着実に進行していたことがある。欧州諸国の公文書は原則として「30年公開法」に従って公開されるため、これまで知られていなかった史実が続々と明らかにされている。ク伯の個人文書もジュネーブ大学に寄託され閲覧が可能になったことから、ク伯本人の思想・活動についても実証的な研究が進んでいる。

最晩年を「独占」した交流

 2003年12月1日に『パン・ヨーロッパ』出版80周年を記念して開催された国際シンポジウム(東海大学、オーストリア大使館、チェコ大使館共催)は、そうしたヨーロッパでの再評価に呼応するものであった。このシンポジウムにパネリストとして参加した私は、(パン・)アジア主義に対する関心が近年とみに高まっている日本の状況にも鑑みて、ク伯の思想が日本のアジア主義に与えた影響を扱った。これは、日欧双方の地域主義の「再評価」を突き合わせる試みでもあった。

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 ク伯と日本の関係には、有力な団体・個人が重要な役割を果たしている。特に、ク伯の著作を最初に紹介した鹿島守之助(鹿島建設中興の祖)および鹿島平和研究所、ク伯の著作に感銘を受け「友愛革命」を目指して青年運動を組織した鳩山一郎、そしてク伯の最晩年を「独占」した観もある創価学会、の三者が中心的である。

 しかし、それ以外にも、このク伯と日本の関係には、実に多くの人々が登場する。政治家や著名人ばかりでなく、ク伯の活動や著作に感動した一般の人々からの手紙もRCK(RCKはリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの頭文字をとったもの)の個人文書には多く残っていた。そうした人々のク伯との関係がどのようなものであったか、そしてその人々の消息がどうなったのか、インターネット上に情報提供を呼びかけようと思い、「RCK通信」というホームページを1年前に開設した。その結果は、改めてインターネットというメディアの可能性を実感させるものであった。この原稿の話をいただいたのもホームページが発端である。

 「RCK通信」で得られた情報も活用しながら、ク伯の残した足跡を跡づける作業は現在も続き、その成果はホームページ上にも順次公表している。潮出版社の『カレルギー伯』に魅せられて以来の私のクーデンホーフ=カレルギー探究の旅は、こうして、「RCK通信」をフォーラムとしながら、今暫く終わりそうもない。

 (東北大学助教授)

 ●RCK通信 http://www.law.tohoku.ac.jp/~tozawa/RCK%20HP/index.htm

略歴

 とざわ・ひでのり 1966年、岩手県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。ドイツ・エッセン総合大学留学、欧州連合日本政府代表部専門調査員、大阪大学法学部講師・助教授を経て、2005年4月より東北大学法学部助教授。専攻は国際関係論。