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(2005年8月30日付)
「権威に依存したがる時代」の危うさ |
昨今、この国のシャーマニズムへの耽溺ぶりが、私には気がかりでならない。シャーマニズムとは、北アジアや北米に太古から見られる原始的宗教形態である。そこでは、人間の幸不幸は、方角の吉凶や霊による祟りや守護など、外なる要因に支配されると考えられている。
人々は神や霊と交信できるとされるシャーマン(呪術師や巫女)に依存し、予言や託宣を聞き、方角や日取りを占い、霊的なはたらきを招いたり避けたりして、身の安寧を保とうとする。
大安や仏滅といった「六曜」、災厄を祓おうとする「お祓い」「清め」、吉凶占いである「おみくじ」などは、今日に連綿と続くシャーマニズムである。
ともすれば宗教を警戒し遠ざけがちな日本社会だが、シャーマニズムに対して人々は無防備なほど猜疑心がないのだ。
わけても近年は、風水や占術、霊視といったシャーマン・ビジネスが繁盛して久しい。右肩上がりの成長が終わり、進路の見えにくい時代に入って、多くの人々が漠然とした不安感にとりつかれているのだろうか。
メディアには、風水研究家や占術師、霊能者を自称する人々が頻繁に登場し、人気の高い人物を担ぎ出して、看板番組まで放映しているテレビ局も複数ある。
所詮は単なるお遊びだと見過ごしてよいのかもしれないが、メディアが煽るこうした風潮に、私は二つの点で危惧を感じている。
まず、「シャーマニズムの時代」に無批判に便乗するメディアの姿勢が、なかんずく若い世代にどういう影響を与えるかを思うと、暗澹たるものがあるのだ。
振り込め詐欺の被害が後を絶たない世相に触れて、河合隼雄氏は「要するに『厄介なことをお金で解決できるなら、払ってしまおう』という気持ちを悪用されている」と指摘している(『潮』9月号)。
困難に遭遇した際に、その困難と四つに取り組もうとする意志や力に欠け、手っ取り早く回避してしまおうと考える衝動は、今やこの国の老若男女を見事に覆いつつある。
人生の重要な課題を占術師や自称・霊能者にすがって解決しようとする心理もまた、その危うい衝動と通じ合うものだろう。
一念に億劫の辛労を尽くし、葛藤に耐えて前に進もうとするところに、人間の重要な勝負があると私は思う。
“特別な誰か”に依存する瞬間、人はその勝負を放棄し、権威に対しても自分の人生に対しても非力な存在になっていく。太古ならいざ知らず、「シャーマニズムの時代」とは危うい時代なのだ。
第二の懸念は、とりわけテレビ各局が視聴率欲しさに、彼ら現代のシャーマンを重用することへの疑問である。
ある番組では、人気占術師が「鴨居の上や仏壇に写真を飾ってはいけない」等々、遺骨や仏壇に関する珍妙な自説を語り、有名司会者らが畏まった表情で「私たちは間違ったことをしていたのですね」などと、視聴者を誘導する発言を繰り返していた。
他にも、番組で出演者に対し「蛇が憑いている」「ガンになる」「早死にする」等と断言するなど、この占術師は言いたい放題だが、局側は視聴者に、その放言のきわどさをおもしろがらせている面がある。
また、いわゆる霊能者が視聴者の亡き家族と交信することを売りものにしたり、霊視なるものを根拠に人生相談に答える番組もある。彼が自らをスピリチュアル・カウンセラーなどと名乗ったところで、これら番組のいかがわしさが払拭できるとは思えない。
放送法は、「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」と明記している。さらに編集にあたっては、「善良な風俗を害しないこと」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めている。
彼らの言説の多くはれっきとした宗教的見解であり、しかも著しく普遍性を欠いた特殊なものだ。
視聴率めあてにテレビが特定の人物を権威づけ、あたかも真実であるかのような前提で、特殊な宗教的言説を放送して視聴者を誘導する手法には賛成できない。
メディアを舞台とした不安な「シャーマニズムの時代」――。現代のシャーマンを登場させる頻度は、今やそれぞれのテレビ局のモラルを測る数値でもあると私は感じている。
(ジャーナリスト)
略歴ひがし・しんぺい 1963年、兵庫県生まれ。駒澤大学卒。神戸連続児童殺傷事件の遺族の手記『彩花へ・「生きる力」をありがとう』を企画構成しベストセラーに。報道被害や少年事件の背景に通底する社会的課題に取り組む。日本マス・コミュニケーション学会会員。