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寄稿論文

<特別寄稿>ペレストロイカ 20世紀史上、比類なき現象

(本紙客員論説委員・チンギス・アイトマートフ)

(2005年6月21日付)


閉塞状況破ったゴルバチョフの改革

民衆の精神性を高めながら拡大


地球規模の悲劇を回避へ

 ペレストロイカをめぐっては、今でもおびただしい議論が絶えないが、一国で起きた改革が全世界をこれほど揺り動かした歴史的出来事はなかったし、今後もありえないのではないだろうか。

 そう、ペレストロイカは、20世紀史上、比類なき現象である。当時の国際社会の中で、ペレストロイカの余波を受けないものはなかった。ペレストロイカは、社会主義的ユートピアを冷静に見直し、現実世界に突破口を開いた大いなる改革であった。

 そして、世界が目の当たりにしたように、ソ連社会が、教条主義や硬直した全体主義的階級イデオロギーから自ら脱却し、自由と民主主義を言葉の上ではなく、個人と社会の生活の上に実現すべく、動きだしたのである。

 また、個人の利益と権利が最優先されるようになった。このようなことは、ペレストロイカ以前では考えられないことであった。

 ソ連国民全体を巻き込んだペレストロイカが実施されなかったら、ソ連体制の袋小路からあれほど劇的に脱皮することはできなかったであろう。ペレストロイカが時代を救う行為であったことに、今では何の疑いもない。まさに、ペレストロイカは、1980年代の問題を解決すべく、歴史の舞台に繰り広げられたドラマであった。

 もしも、国内の慢性的停滞や、二極に分かれて対立する世界の緊張した冷戦を克服するために、ペレストロイカではなく、世界の指導権取得のための常套手段である急進的な侵略措置がとられていたらどうなっていただろうか。20世紀の人類は地球規模の大悲劇に見舞われていたかもしれない。ペレストロイカが20世紀の舞台に躍りでなければ、そんなシナリオもありえたのである。

教条主義排し新思考探る

 ゴルバチョフのペレストロイカは、当時の政治指導者たちの型にはまった教条主義を退け、ソ連という名の大陸規模の大国を覆う宿命的な停滞から脱出する新たな道を模索しようと社会に働きかけたのである。

 当然、ペレストロイカが全く非の打ち所のない理想的な政策であったとはいえない。それなりの問題点や過ちがあったことも否めない。加えて、当時は、その他にも、複雑化する問題が山積みであった。

 ここではこうした側面はさておき、世界の出来事に今もなお影響を及ぼし続けるペレストロイカの重要な成果について述べたい。物事の評価には、個人的な意見や感想や解釈が許されるものと確信する。

 特に、ペレストロイカの渦中に直接身を投じた者には、個人の考えがあって然るべきである。私もその中の一人と考えている。そう、私は、ゴルバチョフと直接交わることができた。それは、自身の人生にとって最も大切な時期であった。執筆活動においても同様で、最高潮の時であった。今ではすべて懐かしい思い出となっている。

 ここで述べる私の考察は、イエスとノーに分かれる様々な反応を呼ぶであろう。

 まず申し上げたいことは、国内の精神的危機やソ連共産党の独占的イデオロギーや全体主義の抑圧を克服し、新たな思考法を生んだペレストロイカは、圧制の重み、スターリンの個人崇拝、大衆の心に深く植えつけられた恐怖心、残酷なスターリニズムから脱出するために、社会の力と意思を集結させたことである。

 スターリンは何百万人もの命を犠牲にしたが、誰も自分自身が生き残るためには一言たりともスターリンを批判することはできなかった。このスターリニズムへの脅威は、ペレストロイカ当時でも、民衆の潜在意識の中に残っており、いざとなれば国内外でスターリン派保守主義の侵略の為に息を吹き返すのではないかと恐れられていた。

粛清犠牲者の名誉回復も

 ペレストロイカは、民衆の精神性を高めながら、グラースノスチ(情報公開)をどんどん拡大していった。そして、文芸関係の雑誌の発行部数が数百万部を超えるという、考えられないようなことが起きた(ビジネス時代の今では、これらの発行部数は、せいぜい3000部から5000部で、1万部を超えない)。国中が、失ったものを取り戻したい、これまでスターリン主義の時代に隠されていたものを読みたいと必死だったのである。

 そして、1987年から政治局は委員会を設置し、大量粛清の犠牲者の名誉復活を開始した。

 A・N・ヤコブレフのイニシアチブによって行われたこの作業は、恒久的な「懲罰キャンペーン」の暴虐さを改めて白日の下にさらした。異端者の追放や撲滅なくして、スターリニズムのような思想は存在できなかったし、独裁者の圧制力を行使することはできなかった。

 ペレストロイカは、革命的スローガンの陰に隠されていたスターリニズムの急所を露にしたのである。スターリンの権力志向は、空間と時代を超えて広がり、国内のみならず、遠い諸国でも支配権を確立することを渇望した。

 この事実だけでも多くのことを物語っている。そこには、将来の紛争の火種が潜んでいた。ペレストロイカは、イデオロギーの魔力やスターリニズムの隷属から我々を解放してくれた。

 さらに、当時の妥協を認めない二極間対立の世界を考えたとき、ペレストロイカが新たな世界大戦から人類を救ったと言っても過言ではないと思う。なぜなら、ペレストロイカという思想、人間主義的思想という異なる目線から、ソ連は世界を、世界はソ連を見ることができたからである。

軍縮へのメッセージの源

 そして、最後に申し上げたいことは、ペレストロイカは、世界平和と軍縮という、20世紀の人類に呼びかけたグローバルなメッセージの源となったということである。我々は皆、東西諸国の軍国主義に反対し、いかに正当化されようとも大量殺戮兵器の保持に反対する運動を展開した。

 当然、いかなる時代であっても、軍拡競争は、世界中の、特に貧しき国々の国民を不幸に陥れ、基本的な生活の糧を奪い取るものである。だからこそ、現在の国際テロは有り余るほどの最新兵器を貯えているのである。

 ここで当時を振り返って、ペレストロイカの波の中で、我々がどのような悩みや不安を抱いていたか、述べてみたい。ここでいう「波」は、急進的な波ではなく、ペレストロイカのみがもたらすことのできた人道的な波のことである。私は、10年ほど前、軍拡競争は「戦争の神に捧げる生け贄」であるとの意見を発表する機会があった。

 その中で、自分が心痛め憤りを感じている問題について綴った。それは、いかに厚顔無恥な武器取引が横行しているかということであった。闇取引のみならず、白昼堂々と、陸や海や空で武器を転がし、大金をなす組織が存在する。

 人類が、優位性確立のための威嚇手段としての武器の重荷を下ろして、平穏無事に暮らすという奇跡がありうるのだろうか? たぶんそれはノーである。どう考えてもありえない。せめて今の段階で可能なことは、欧州連合(EU)のような共同体を全世界に広めることくらいであろう。これは夢である。しかし、夢なしでは将来性もない。だから夢を持ち続けよう。


略歴

 Chingiz Aitmatov 1928年生まれ。キルギス共和国出身。キルギス農業大学卒。ソ連作家同盟文学研究所高等文学課程修了。畜産技師として働きながら文筆活動。63年に『山と曠野のものがたり』でレーニン賞、68年には国家賞を受賞。「キルギス文学」編集長を経て、83年キルギス作家同盟議長。88年、「外国文学」誌編集長。一方、ペレストロイカの旗手的存在として活躍し、89年3月〜90年10月、ソ連人民代議員。90年3月、大統領評議会メンバー。知識人の国際会議イシッククリ・フォーラムの主宰者。