

(1998年6月13日付)
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成立→改正の半年間で180度転換した論説も |
財政再建を狙いとした財政構造改革法は昨年十一月に制定されたが、わずか半年後の五月末に改正となった。橋本内閣が掲げた六大改革のひとつである財政構造改革の旗をおろし、積極的な景気浮揚策へと転換した象徴的なできごとであったはずだが、野党や自民党内反執行部派の橋本首相に対する政治責任追及も尻つぼみとなって、むしろ参院選での自民党への応援材料に使われた形である。なぜ、こうなってしまったのか。背景にメディアの責任があることを検証したい。
財革法に種々の問題点があることは、初めからわかっていた。同法が成立した翌日、一九九七年十一月二十九日付の日本経済新聞社説は「財政自縛の法案を拙速で通した国会」という見出しで、同じ国の借金である国債に「建設」と「赤字」という時代錯誤の区別を設けている建設国債対象経費の公共事業に比べ、福祉や減税財源にしわ寄せが大きくなりかねない――などを指摘し、「次期通常国会で必要な改正をすべきだ」と主張していた。
財革法が手本にした米国の包括財政調整法は、四半期の経済成長率が二期連続してマイナスになりそうなときには歳出カットを見送る弾力運用規定があるが、財革法にはない。実はこれが問題となるのだが、財革法成立の時点ではこの点に触れた社説は見当たらなかった。二〇〇三年度までに赤字国債の新規発行をゼロにするという目標を、どんな深刻な不況に陥っても実行するのかという疑問が、当然出ていいはずであった。
朝日新聞社説は「今後、景気動向を重視し、変化に柔軟に対応すべきことは言うまでもない。だが、一度掲げた改革の旗を安易に降ろさないことが、政府への信頼感を高め、人びとの先行きへの不安を和らげることを忘れてはいけない」(十二月五日)と指摘している。これは、財革法が成立した途端に補正予算で公共事業を積み増そうという動きが自民党内に出てきたことをいましめたものだが、結果的に旧財革法擁護の主張となっている。
読売新聞社説は、そもそも財革法が成立した段階で、次のように書いている。
「景気の現状が十分な警戒を要することは確かだ。金融不安の拡大防止が急務であるのは言うまでもない。その意味では、あまりに機械的な赤字削減は危険でもある。しかし、目先の景気対策にとらわれるあまり、二〇〇三年度までに国、地方を合わせて財政赤字を単年度ベースで国内総生産(GDP)の三%以下に抑え、赤字国債をゼロにするという中期目標までほごにするようなことがあってはならない」(十一月二十九日)
ところが、与党三党が九八年度予算の成立後に政府と与党でまとめる総合経済対策の基本方針を決定したとなると、たちまち「財革法の弾力化で景気浮揚を」と一転する。
「財政構造改革の基本は堅持しつつ、経済実態に合わせて改正し、弾力運用に道を開くべきだ。その中身としては、目標年次の二年間繰り下げ、米国の包括財政調整法のように経済悪化の場合に適用を一時停止する弾力条項の盛り込みが挙げられる」(三月二十七日)
景気対策として赤字国債の発行に道を開くのが狙いである以上、財革法の弾力化は焦眉(しょうび)の急だったが、読売新聞は雑報のなかにも不可解な記事を載せている。四月五日付朝刊の「財革法、今秋に改正」という記事である。それによると、政府・自民党が「今国会に改正案は提出せず、秋の臨時国会に提出し成立を図る方針を固めた」というものだ。
毎日新聞も四月七日付朝刊で同様の記事を載せているところをみると、政府・自民党内にそうした動きがあったことは事実なのであろう。しかし、その後の展開は、これらの記事が全くの観測に過ぎなかったことを示している。読売は四月九日付夕刊で「今国会での改正浮上」と軌道修正せざるを得なかった。
赤字国債発行の弾力条項などを盛り込んだ改正財革法と二兆円の特別減税関連法は五月二十九日成立した。翌三十日の読売社説は「機動的な景気対策の手足を縛っていた財政構造改革法案が改正された。景気浮揚は当面の最大の課題であり、法改正は当然だ」と書いている。だが、先に引用した昨年十一月時点での財革法成立時の社説と比べてみれば、同紙社説のスタンスが一八〇度転換していることは明らかだ。
橋本内閣は当初、財革法の改正が政治責任に及ぶという判断から所得減税にも言を左右にして応ぜず、財革法に基づいて編成された緊縮型の九八年度予算を成立させるのに懸命だった。首相が政策転換して財革法改正を表明したのは、九八年度予算成立後の四月九日の記者会見の場であった。翌十日の朝日新聞社説は「失政の自覚はあるのか」と、橋本首相をきびしく追及している。首相の政策転換の背景には、多分に政治的なかけひきがあったことはいうまでもないが、国民には首相の迷走と映った。
読売は四月二十日付朝刊で「迷走、首相の六大改革」という記事を載せている。だが、迷走していたのは、実はメディアもまったく同じだったのである。(立命館大学教授)
略歴 たかはし・ふみとし 1937年長野県生まれ。東京大学文学部卒。61年朝日新聞社に入社し、ロンドン特派員、西部本社経済部長、東京本社論説委員、論説副主幹を歴任。94年の退社後、米ワシントン大学客員研究員を経て現職。専攻は情報メディア政策論。著書に、『経済報道』『競争政策・消費税・PL法』(ともに中公新書)『財テク国家の終焉』(朝日新聞社)など多数。