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寄稿論文

『「真実」〜日中、二つの国の天と地〜』

(著者インタビュー 李珍さんに聞く)

(2005年5月31日付)


来日までの苦難と友好の思い赤裸々に

忘れ得ぬ池田名誉会長の励まし


 日本に留学経験のある父と、華僑の子として育った母との間に、北京で生まれた李珍さんは、少女時代に中国社会に大混乱をもたらした文化大革命(1966〜77年)を経験する。新著『「真実」〜日中、二つの国の天と地〜』(講談社刊)には、82年に来日するまでの李珍さんの苦難の生活が赤裸々に綴られている。


 ――涙なくして読めない本です。一気に読みました。初恋のことや労働改造農場に送られたことなど、来日するまでの体験をつづっていますね。

 98年に、当時小学生だった娘から、「ママの小学校時代は?」と聞かれたのが執筆のきっかけでした。書くなら本当の私を書こうと決めました。赤裸々に書いたほうが自分自身も納得します。娘は、泣きながら読んだと言っていました。

 文化大革命(文革)が起きたのは私が小学4年生の時です。授業もなくなりました。何が起きたのかも分からず、友達と「闘争ごっこ」を繰り返していましたが、私は、男の子たちから「日本のガキ!」とからかわれていました。

 ――李珍さんが11歳の時、突然、お父さまが「連行」されますね。

 母が、毎日泣いていたのをよく覚えています。父が、どこに連行されたのかを聞くこともできませんでした。

 隔離されて殴られたり、「白状しろ!」「自己批判しろ!」と暴言を浴びせられているのではないかと心配していました。父は2年後に帰ってきましたが、何があったのか、一言も語りませんでした。

 子どもたちが大人になって、物事を冷静に受け止められるようになったら話そうと思っていたかもしれませんが、早く亡くなってしまったので、「連行」で何があったのか、を聞くことはできませんでした。

 ――文革の時代のことは、中国の人にはどのような体験として残っているのでしょうか。

 本当に文革時代は人間が狂っていたとしか言いようがない時代でした。

 あの時代に生きた人間は心に何らかの傷を残していると思います。一番の傷は「人間不信」です。誰を信じたらいいかわからない。きょう一緒に闘っている仲間同士でも平気で裏切ったり密告したり……。人間不信はすごい後遺症となって残っています。

 文革は本当に人間の悪い面を全部そのままさらけ出しました。あのようなことは二度と起こってはならないと思います。

 ――「批判闘争会」で暴力を振るった人は、今どうしているのですか?

 両極に分かれています。改革開放の流れに乗って会社を興して成功している人たちと、もう自分の人生はおしまいと考え、あとは子どもに託すしかないと思っている人たちです。

 でも、文革は8億人の人民が加害者であり被害者ではないかと思います。みんなで一斉にやったことですから、責めることはできません。

 ――今、日中間できしみが生じています。

 とても残念なことです。でも、友好をはかっていく道は絶対にあるはず。中日ともに、目標を仲良くするところにおき、政府や民間レベルで、そのためにはどのようにしたらいいのかというところから考え行動していけば、必ず今の状態を変えることができると思います。

 ――75年4月、池田会長(当時)が創価大学創立者として武漢大学におられたお母さまを訪問されましたね。

 母は、池田先生の訪問を大変に喜んで、学生たちに「赤とんぼ」など日本の歌を教えて歓迎する準備に奔走していました。母から、先生は中日友好に尽くしている偉い人と聞いていました。大学側は緊張していましたが、先生は人に声をかけるとき、とても優しいのです。私には「日本に留学にいらっしゃい。待っているよ」と声を掛けてくれました。

 実は、来日して初めて先生にお会いする機会があったのです。その20日ぐらい前に父の死を知り、ずっと泣いていたため目がはれていました。その時先生は握手してくださり、一言、「頑張れ!」って言ってくれたのです。その言葉を聞いて涙がこぼれ落ちました。何か父に会ったような気がしました。

 ――著書の「はしがき」に「人生は言わば列車と駅、歴史がレールで、時代が列車……どこで列車を降りようとも、そのことが人生の最終目的にはならない。人生はすばらしいものを、幸福を、充実感を、意味を永遠に追い求めることなのである」とありますね。

 よく友達から「日本は好きですか」とか、「中国は好きですか」と聞かれるんです。でも、今暮らしているところで追い求めるものがあったら、ここで生きる価値があると思います。人生は列車と駅。中国でも降りるし、日本でも降りる……。人生は旅のようなものではないでしょうか。

 ――李珍さんは、武漢という「駅」ですてきな人(夫)と出会った……。

 そう信じています(笑い)。どのような時代であっても、自分の今の現実に負けてはいけない。いつか必ず困難を乗り越えられる――そういうことを、この本の中から感じとっていただけたらうれしいですね。(聞き手・藤原広記者)


略歴

 り・ちん 1956年、日本に留学経験のある中国人の父・李漢波と、華僑の子として日本で育った母・呉月蛾の二女として北京市に生まれる。82年、来日。慶應義塾大学大学院文学研究科修了。NHK国際局嘱託、都留文科大学中国語非常勤講師も。「大地の子」「新シルクロード」などの日中共同番組制作のコーディネーター。初めてプロデュースした映画『故郷の香り』は2003年、第16回東京国際映画祭グランプリ受賞。夫は創価大学教授の樋口勝氏。2女の母。