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寄稿論文

牧口常三郎『人生地理学』―地理学者による評価

(流通科学大学教授・奥野 志偉)

(2005年5月17日付)


時流に抗し国家主義と戦った精神

郷土の身近な環境から思索をスタート

関西学生部の世界市民セミナーから(要旨)


 地理学研究者の私は、香港に生まれ、香港の大学教育を経て来日し、日本で大学院教育を受け、現在、関西の大学で経済地理学、地誌学の講義を担当している。先ごろ、牧口常三郎の著書『人生地理学』を入手し、熟読。牧口の生き方、郷土への愛着、世界情勢への関心等に感動を覚えた。以下、所見を次のようにまとめてみた。

 明治4年(1871年)、牧口常三郎は新潟県柏崎市荒浜に生まれた。14歳で北海道に渡り、17歳の時に北海道尋常師範学校に入学。明治36年、牧口は最初の著作『人生地理学』を出版、32歳だった。この書は、多数の新聞に書評されるなど大きな反響があった。

 明治の日本は、世界へ門戸を開き、近代化に取り組んでいた。それは同時に、近隣国家との軋轢も生んだ。明治28年、日清戦争に勝利した日本は、国家主義の風潮が急速に高まっていた。

 北海道で地理学の研究に励んでいた牧口が『人生地理学』の出版を決意して上京したのは、不凍港を求め朝鮮半島への南下を企図するロシアの脅威に日本国がおののき、対ロシア戦争やむなしという主戦論が高潮する時であった。

 緒論で牧口は、帝国主義を高く評価する当時の世論に疑問を投げかけている。彼の言葉を引用すれば、人の物を盗むものは犯罪として罰せられるが、人の国を奪うものはかえって強として畏敬せられる矛盾がある。狭隘な国家主義の一極端に偏るべきではないと説いている。

 地理学の研究対象は地表に分布する自然現象と人類生活現象との関係である。牧口が地理学を選んだ理由は、おそらく人間の社会と地の関係を解き明かし、世界をまるごと把握したいという欲望からきたのであろう。彼の地理学研究に刺激を与えたのは、師範学校卒業の翌年に相次いで出版された内村鑑三の『地人論』と、志賀重昂の『日本風景論』であった。

 牧口の世界情勢の理解は、世界各地に依存する私たちの生活上の必須品(衣料、食料、燃料、工業製品など)の生産や流通経路、世界を共同の生活舞台とする知識が必要であるとする。ここで、公平な世界観と正当な立脚点の見識を与える学問は「地理学」しかないという。

 また緒論には、「6大強国(英、仏、独、ロ、米、日)権力一覧」「国際勢圧力分布略図」の2図が添付され、20世紀初め強国の他の地域への進出姿勢が記されている。

 牧口の言う「人生地理学」とは、人類の生活活動に関する地理学の意味であり、今風に言いかえれば「生活地理学」と命名されるであろう。

 『人生地理学』の最後に牧口は、地理学が地名や産物の記憶を鍛える科目ではなく、科学的研究法を適用し「地人関係」を究明する科目であると強調する。その効用は、社会・生活上の知識を得るとともに、判断力や世界観・自己の立脚点の自覚、愛国の心・愛郷土の心の培養に効果があると主張している。

 牧口は、郷土観察がものごとの理解の順序の始点となり、また知識を実践に移すことを重視する。いわく、私たちには郷民(数百〜数千人の中の一人)――国民(当時の日本国の人口・5千万人の中の一人)――世界民(当時の世界人口・15億人の中の一人)という重複な関係が付随している。郷土の身近な環境から調査観察し、そこで得たものを、さらに一層広い地域へと検証を求め、次第に真実に迫っていくべき、と。

 30歳代の牧口は『人生地理学』の中で、人類の幸福への道は、戦争や列強間の資源の奪い合いによる弱肉強食ではなく、平和共存、貿易交流による相互利益の道であるとの信念を披歴している。

 後に牧口は、教育改革による社会の向上を目指して『創価教育学体系』を著し、「創価教育学会」を発起した。彼の言葉によれば、「庶民がもっとも大事にされる社会」こそ「真の民主主義社会」である。

 常に社会の大多数を占める民衆の視点に立ち、民衆のために、平和の実現を熱望した牧口の思想と行動に、私は地理学研究者として共感を禁じ得ないのである。

 (流通科学大学教授)


略歴

 おくの・しい 香港生まれ。香港中文大学地理学卒。タイのアジア工科大学院大学で修士号を取得。香港社会福祉協議会幹事を経て1979年に来日。大阪市立大学文学研究科後期博士課程地理学専攻単位修了。研究テーマはITによる地域活性化、アジアの都市と地域開発など。徳山大学教授を経て2000年から現職。