

(1997年12月20日付)

成田空港の記者会見室は内外の報道陣と警備関係者でごった返していた。
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)から三十八年ぶりに初めて帰国した日本人妻十五人の一行は、十一月八日夜、北京経由で成田空港に到着した。わずか一週間の滞在期間中、日本人妻らはそれぞれ三日間の日程で郷里に里帰りし、その様子は、マスコミでも一挙手一投足まで詳しく報じられた。ただ、十五人のうち七人の日本名は伏せられ、三人は年齢さえ発表されなかった。取材も許可を許された四、五人に限られるものだった。
出国前の記者会見は十三日の夕方、国立青少年センターで行われた。日本人妻の一人が、朝鮮人の嫁に行ったことが罪であるかのように日本人は思っているのではないかと不満を述べた。記者会見では、事前に予想されたとおり、自国の体制と首領を讃える言葉が繰り返された。
さて、マスコミは取材を許された日本人妻を連日のように追いかけたが、歴史的な背景まで深く踏み込んだ報道は少なかったように思う。
一九五九年に第一時帰国船が着く直前、日本人記者団七人のうちの一人として北朝鮮に入った経験を持つ嶋元謙郎・元読売新聞記者(70)は、今回、多くのメディアから取材を受けた。だが、その報道内容については「不満が残るものばかりだった」という。
当時の東アジアをめぐる国際状況などをとうとうと説明したにも関わらず、そうしたバックグラウンドに関する引用はほとんどなかったからだ。「もうこの取材からは解放してください」。辟易(へきえき)しているといった感じだった。
当時、帰国後に記者団が書いた『北朝鮮の記録――訪朝記者団の記録』(新読書社、一九六〇年)は、北朝鮮の経済発展ぶりなどを肯定的にとらえ、レポートしたものだ。その後、日本人妻が三十八年にもわたって里帰りが許されない状況になり、これらの報道に関わった人々や学者は、その責任を問われる風潮になった。今回もそうした視点の報道が幾つか目についた。
『週刊新潮』(十一月二十日号)は《日本人妻を「地上の楽園」と囃(はや)して北朝鮮に行かせたマスコミの「大罪」》とのタイトルで五ページにもわたる記事を掲載。当時、北朝鮮を称賛する報道を書いたマスコミ関係者への責任を問いかけた。
嶋元さんは語る。「当時の国際的な背景をいろいろ話したのだけど、さっぱり取り上げてくれないんだよな」。取材する側から取材される側になった嶋元さんは不満気な様子だった。
なかでも今回、日本人妻の報道においてひときわ目立ったのは、『週刊文春』の飛ばし(十分な確認なしに発表した)記事である。
十一月六日号では《日本人里帰り妻に土井たか子の身内がいる》と題するセンセーショナルな記事を掲載した。だが、社民党の土井たか子党首側は、事実無根の悪質な誹謗記事として、東京地検に刑事告訴した。
記事の内容は、毎日新聞の論説委員で、北朝鮮通の重村智計記者の講演の内容を断定的に引用したもので、問題になったあと、重村氏は「意図と発言が違った形で利用された」と新聞にコメントしている。
経緯については『SAPIO』(十二月十日号)に重村氏自身が詳しく書いている。
「二十七年に及ぶ記者生活で、こんなめちゃくちゃな取材とルールを守らない人に出くわしたのは、初めてだ」と冒頭で述べ、筆者の加賀孝英という人物から取材を受けていないことや、取材に来たのは別の若い記者で、重村氏が「これは背景説明だ。名前を引用しては駄目だよ」と何度も念を押したにもかかわらず、堂々と名前入りで書かれたことなどを暴露している。
重村氏によると「里帰りする日本人妻のなかに土井党首と竹下元首相の関係者がいるといわれており、どうなるかに注目している」と話したのは事実だが、あくまで関係者の間で流されている情報にすぎず、事実関係を直接、再確認せずに記事にすべきものではないと書いている。
だが、『文春』側は「重村氏の講演内容を記事にしただけ」と逆に責任を重村氏に押しつけるかのように、また報道機関としての責任をまるで認めないといった態度だった。翌週号でも居直るように同じ加賀孝英の名前で、《土井たか子殿、身内に「日本人妻」は「名誉棄損」ですか?》との記事を掲載している。
重村氏は結論づけてこう書いた。
「文春の場合は他人を攻撃するために(人の発言やコメントを)利用しようというのだからマスコミではなく『マスゴミ』というしかない」
日本人妻の帰国第二陣が来年早々にも実現しそうだが、「週刊文春」は事実からかけ離れた売らんかなの姿勢を改め、マスコミの存在意義を問い直すべきではないかと思う。
(ジャーナリスト)
十一月十三日、出国前日に行われた“日本人妻”代表による記者会見(東京・国立青少年オリンピックセンター内で)