

(1997年11月15日付)

日本のジャーナリズムが客観報道を標榜(ひょうぼう)し、無署名記事を基本にしているのは周知のことである。が、この無署名記事がどのようなメカニズムを内包し、それがどのような結果をもたらすかについては、いままで一度も論じられてこなかったといっていい。
この無署名記事が内包するメカニズムこそが、日本のジャーナリズムを危機的状況に陥れている元凶(げんきょう)だというのが私の理解の仕方である。
無署名記事だということは、記者が「わたしは――」と書くことができない、一人称の文脈をもちえないということである。が、言葉は「いま・ここ」にいる誰か、「わたし」によって話され、書かれてはじめて言葉になる。この「いま・ここ・わたし」こそ、言葉が言葉になるための最初の支点、記者からみれば、自分が記事を書くためのかけがえのない拠点だということである。
その拠点なしに「記事を書け」ということは、記者が自らの判断主体、報道主体を打ち立てられないことを意味する。それでも記事を書かなければならないとしたら、どうするか。その判断主体、報道主体を「不特定多数=われわれ」の立場に重ねる、すなわち「われわれ」に憑依(ひょうい)させて記事を書かざるをえない。
「みんながそう思うだろうから、そう書いてもおかしくはないはずだ」というのが、この場合の構図である。この憑依のメカニズムこそが、いちばんの問題なのだ。
典型的なのは新聞だが、週刊誌やテレビなどの後発メディアも新聞を手本にしてきたので、基本的には同質のメカニズムを抱えているといっていい。
とりわけ、その異常さがあらわになるのは、報道が一つの対象に集中し、継続して行われる場合である。その憑依のメカニズムが共振し、増幅されるからだ。
例えば、辞任せざるをえなかった佐藤孝行・元総務庁長官のケースがいい例だろう。いっせいにどのメディアも「辞任しろ」の報道合戦を繰り広げた。そこには「みんながそう思うだろうから、そう書いてもおかしくはないはずだ」という憑依のメカニズムに依拠した断罪報道の構図が見てとれよう。
しかしながら、これは佐藤氏個人の問題だったのか。なかには疑問に思った記者もいたはずだ。が、「わたしは――」という文脈をもちえない無署名記事においては、その疑問を表明することができないのだ。
要するに、ひとたび断罪報道が燃え上がると、歯止めがきかないということ、しかも、その責任の所在がかぎりなく曖昧(あいまい)にならざるをえないということである。報道主体が不在のところでは、その責任主体も不在だということにしかならないからだ。
神戸市の小学生殺害事件において、目を覆(おおう)うばかりの無責任な加熱報道がつづいたことは、まだ記憶に新しい。
週刊誌やテレビは被害者の少年やその家族をさらしものにし、容疑者の少年やその家族を断罪してはばからなかった。『フォーカス』が容疑者の少年の写真を掲載した問題も、その延長線上で起こったことだといっていい。
本来、ジャーナリズムに人を裁く権限などないはずなのに、結果的に人を裁くことになるのは、もともと無署名記事に憑依・断罪のメカニズムが内包されているからだ。『フォーカス』の問題などは、その極みというべきだろう。そこにこそ、戦後五十年間、判断主体、報道主体を打ち立てられない無署名記事にひたすら依拠してきた戦後ジャーナリズムの当然の帰結をみておくべきなのである。
このような状況からぬけ出すには、どうしたらいいか。それもはっきりしていよう。そのような危機的状況をもたらしているいちばんの元凶が、無署名記事の言語システムにあるなら、その言語システムの改変が不可避だということ、「一人称=わたし」を排除しない言葉の原点に立ち返って、あらためてジャーナリズムの言語システムを再構築する必要があるということである。私が署名記事化を主張するのもそれ故である。
考えてみれば、記者が自分で考え、自分で判断して記事を書き、自分が書いた記事に責任をもつのは当たり前である。私はその当たり前のことを主張しているに過ぎない。
すでに『毎日新聞』や『十勝毎日新聞』などが「原則署名記事」の方針をうち出し、紙面の刷新(さっしん)にとり組み始めている。
このような動きは、やがてジャーナリズム全体に浸透していくにちがいない。日本のジャーナリズムの再生のためには、それは避けて通れない道筋である。もはや、ジャーナリズムが無責任な無署名記事の陰に隠れて安閑(あんかん)としていられる時代は過ぎたというべきだろう。
現場の記者たちも同様である。誤った判断をすれば、その責任が問われる。いい記事を書こうとすれば、自分なりの報道主体を打ち立てなければならない。自らの報道主体、その「いま・ここ・わたし」を不断に鍛えていかなければならないということである。
(評論家)
略歴 たまき・あきら 1940年、新潟県生まれ。早稲田大学文学部卒業。『新潟日報』記者、雑誌記者を経てフリーとなる。現在は社会時評、メディア論などを中心に執筆。著書に『言語としてのニュー・ジャーナリズム』、『ニュース報道の言語論』など。