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寄稿論文

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8月1日の死刑執行を考える
――国民への威嚇か 4人を処刑――

原 裕司
(ジャーナリスト)

(1997年9月6日付)



戦争と死刑は国家による合法的殺人

獄中作家・永山則夫も

 今年八月一日深夜から翌二日未明にかけて飛び込んできた「四人に死刑執行」というニュースは、ある程度予想されたものであると同時に、処刑された人物があまりに有名な死刑囚だったということで、死刑問題に関心を持つ者の多くは衝撃(しょうげき)を受けたはずだ。

 獄中作家であった永山則夫は、死刑確定からわずか七年で処刑された。一審が死刑判決、二審が無期懲役判決で、最高裁が差し戻した差し戻し控訴審で死刑、そして上告棄却という道を辿(たど)った。生と死で裁判所自身が判断に揺れたのだ。

 札幌拘置所に在監していた元暴力団組長の日高安政と妻、信子の夫婦二人も同時処刑された。二人の運命が数奇だったのは、一九八八年秋から続いた昭和天皇危篤(きとく)報道の中で、政府が実施する恩赦の対象に、確定死刑囚も含まれる、という憶測(おくそく)が流れたことだ。二人は信じた。日高夫婦は控訴を取り下げて、自ら確定死刑囚となってしまったのだ。だが、恩赦はなかった。死をかけての控訴取り下げは、死刑執行時期を早めただけだった。

 炭鉱の街だった北海道夕張市で、日高は地元で会社を設立し、北炭という会社の下請けの仕事を始めた。九十三人が犠牲になった一九八一年十月の北炭夕張新鉱ガス突出・ガス爆発事故では、自分の部下七人も犠牲になり、労災保険給付金として約一億円も大金が入っていた。その甘さを味わった末の犯行だった。

 永山も日高夫婦も、昭和の時代に翻弄(ほんろう)されたのだった。

犯罪抑止の効果は疑問

 一九九三年三月の読売新聞による「死刑執行再開」という特ダネで始まった最近の死刑執行は、実に陰湿で、法務省がより強硬な姿勢へと変化していることを如実に示しているのだが、なぜこんな異様な状態が続くようになってしまったのだろうか。オウム事件に代表されるような凶悪犯罪には、死刑で対処しますよ、ということなのだろうか。半年に一回、しかも、同じ日に複数の死刑囚を処刑することで、国民に威嚇(いかく)しているのだろうか。

 そこには、個別の死刑囚の心情など全く無視して、機械的に死刑囚の生命を弄ぶ考えが透(す)けて見える。戦争と死刑は国による合法的殺人だと思うのだが、どちらも歓喜した世論で迎えられようとする。

 だが、いくら死刑を続けようが凶悪事件が起き続けている。犯罪抑止の効果など全くなし得ていない。人間の生命が奪われるだけだ。

 そして、死刑の実態は相変わらず秘密のベールに覆われている。死刑確定囚は外部との交通権を著しく制限されているし、死刑囚に外部の人間が接することはまず不可能だ。死刑執行の有無も、発表したわけではない。どんな判断で死刑執行の起案書が作られ、どんな順番で処刑されていくのだろうか。

 実は我々は実態が分からぬまま、死刑反対か死刑賛成を感情的に議論し続けてきた。秘密の壁に覆われた中での議論が、いかに空虚なものか。

「極刑」の言葉の重さ知れ

 死刑を考える上で常に出される議論に、「加害者ではなく、被害者の人権はどうなるのか」という主張がある。死刑存置論で必ず出される意見だ。

 だが、この意見は、実は議論になっていない。

 被害者というのは、死刑囚によって殺された被害者のことだ。冷たい言い方になるが、死んでしまった人命は戻ってこない。戻ってくるとしたら、事件当時にマスコミに暴かれたプライバシーの侵害などの類だろう。戻ってこない人権を云々言うこと自体、誤っている。人権というのは、今の今、囚われの身となって権力に弄ばれている死刑囚のことなのだ。つまり今ある生命をどうするのか、なのだ。

 「被害者感情も考えて」という意見もある。もっともだが、被害者の遺族は一律に「死刑を」と望んでいるわけではない。私はこの二十年間、死刑問題を追い続けてきたのだが、「死なないで償って欲しい」と訴えている遺族もあるし、「事件のことを忘れている」と漏らす家族もいる。

 一部マスコミが、「絵になるから」という安易な発想で被害者像を作っている事実に気づいてほしい。安易に「極刑」という言葉を使いすぎる。この言葉の意味の重さを考えたことが、それぞれの記者やリポーターはあるのだろうか。

 人間が生きる、死ぬ、殺す、殺される、という意味をじっくりと考えたい。

(敬称略)

(ジャーナリスト)



略歴 はら・ゆうじ 一九五六年、東京生まれ。早稲田大学卒。北海道新聞記者を経 て、一九八八年から朝日新聞記者。著書に『殺されるために生きるということ』 (現代人文社発行、大学図書発売)、共著に『死刑執行』(朝日新聞社刊)があ る。