

(1997年8月16日付)

「だから」という言葉が嫌いである。自分では意識して使わないようにしている。対する人への蔑(さげす)みや憐れみから、さらに己れへの弁解・擁護の隠し刃(やいば)が見えてならぬからである。
そんな私だが、だからの書き出しで畳み込んでくる文章に、ひどく感動した記憶が鮮明にある。
こうだ。
〈だから、言つたではないか、國體明徴(こくたいめいちょう)よりも軍勅(ぐんちょく)明徴が先であると。だから、言つたではないか、五・一五事件の犯人に對(たい)して一部國民が余りに盲目的、雷同的の讚辭(さんじ)を呈すれば、これが模倣を防ぎ能(あた)はないと。だから、言つたではないか、疾(と)くに軍部の盲動を誡(いまし)めなければ、その害の及ぶところ實(じつ)に測り知るべからざるものがあると。だから、私たちは平生軍部と政府とに苦言を呈して、幾たびとなく發禁(はっきん)の厄(やく)に遇つたではないか(略)〉(原文のまま)
わが国が、言論弾圧の暗黒時代にあったころ――。反権力、反戦の志を貫いて一代のジャーナリスト桐生悠々は、個人雑誌『他山の石』にこう書いた。一九三六(昭和11)年三月の初め、かの二・二六事件直後のことである。「皇軍を私兵化して國民の同情を失つた軍部」と題した論説は、まさしく軍部暴走に対する烈しい警鐘であった。
美濃部達吉の天皇機関説を排撃、国体明徴を叫ぶ軍部に対し、水戸黄門の葵(あおい)の紋の印籠(いんろう)ならぬ明治天皇の「五箇條の誓文」を楯(たて)に〈軍人や司法官が時めく時代、それは決して感心すべからざる時代〉〈五箇條の御誓文に背き(略)、万機公論によつて決せず(略)、これが為にアメリカからヨーロッパからも排斥されんとしてゐる(略)〉と警告。さらに「軍人に賜りたる勅語」をかざし、軍人が政治に干与することは「軍勅」に背く行為である。国体明徴より軍勅明徴こそ火急の要件――と斬り込んだのだった。
生前の乃木大将を敬愛しながらも、殉死を非とし、国中が酔ったように礼賛するのを、三日間連続(大正1・9・19〜21、信濃毎日)という破天荒な社説で戒める。そこには、将軍の殉死へ手放し讃美の論調をタレ流す全国の新聞に対しての慷慨(こうがい)がこめられていた。
悠々を組織ジャーナリズムから追放し、軍と官憲権力の迫害思うがままとさせる原因となった、かの「関東防空大演習を嗤ふ」。いま読み返してみる。当然に過ぎるくらいの内容だ。帝都の空に敵機を迎え撃つということはわが軍の敗北そのもの。そのような実戦があってはならない――ことを冷静に説く。科学的にも真理をもつ論理的な記述である。じじつ当時の海軍(演習は陸軍)もこの演習を海軍への侮辱と反発していたくらいだ。
かなり早い時期から第二次世界大戦の危機を予見していた悠々だが、発禁発禁で迫害を遇けつづけた『他山の石』の廃刊あいさつに、しかと未来を見据えている。病魔(咽喉がん)に攻めつけられながらの絶筆。その最終行――〈(略)寧(むし)ろ喜んで超畜生道に堕落しつゝある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候(いたしおりそうろう)も、唯小生が理想したる戦後の一大軍粛(ぐんしゅく)を見ることなくして早く世を去ることは如何にも残念至極に御座候/昭和十六年九月〇日〉
日米開戦の三カ月前。邪剣を矯(た)める正義のペンも力尽きた。無念が滲んで凄(すさま)じい。享年六十八であった。
週刊誌だったか。戦後50年特集企画に「十人の悠々ありせば」のタイトルを見た記憶がある。(“週刊誌買わない主義”で見逃した)
じつは悠々自身、「いま(昭和10年当時)日本に、自分と同じような人間が七人いて『他山の石』と同じような雑誌を出していたならなあ」と友人に洩らしている。いかなる剛毅果敢(ごうきかかん)の士も孤軍奮闘では及ばぬことを悉知(しっち)していた。その孤独がわかる、といったら傲岸(ごうがん)だろうか。
夏。この国に蝉時雨(せみしぐれ)にも似た戦争謝罪論がかまびすしい。たしかに、アジア近隣諸国への反省と贖罪(しょくざい)はあった。が、当の国民を納得させる謝罪の実がない。ドイツのそれに比べて世界の日本への目がたいそう厳しい。
待てよ、と考える。激しく謝罪論を展開する新聞。あの敗戦のとき、英霊と天皇には詫びた、が、国民に謝罪したか。周知のごとく、この国の新聞は軍部と戦うどころか、一斉に迎合した。発表(軍の)物に基づいて虚偽の報道をしつづけ、世論をあおった。民意誘導の大前科があるのだ。その大新聞が中心となり、声高に戦争謝罪論を展開する。おかしい。
もっとも、これも、姿勢としての反省は一応ある。が、国民への真の謝罪があったか、となると怪しくなってくるのである。自らのケジメをつけたうえでこそ、政治・外交に対する謝罪論も説得力を持ち得るのではないか。
いま、発表ジャーナリズムの微温湯(ぬるまゆ)に漬かっている新聞記者たちに問わずにおれない(自戒を籠めて)。あなたたちは、今、言わねばならないことをほんとうに言い、今、書かねばならないことをほんとうに書いているか――。
例えば、鹿児島県出水市。土石流被災者に対する亀井建設相のあの暴言のとき。即たしなめる記者が一人もいなかった。
信じ難く悲しい。
(作家、ジャーナリスト)
略歴 ちば・りょう 本名・池端秀生。1933年、石川県輪島市生まれ。北陸新聞社社会部次長、文化部長代行を経て中日新聞社北陸本社報道部次長、編集委員兼論説委員。定年退職(93年)後、特嘱論説委員の傍ら文筆(小説、詩、エッセイ)活動。金沢文学会主宰。日本文藝家協会、日本ペンクラブ会員。著書に小説集『“志野”恋歌』(NHK日曜名作座放送)、詩集『夜のつぎは、朝』(第19回地球賞候補)、エッセイ集『無告、されど』など。