
(2000年7月11日付)
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そごう百貨店救済、課税最低限など論争避けた勇気のなさ 有権者に顕著なマスコミ「解釈」への依存体質 |
一人ひとりの有権者は、投票所に足を運ぶ時、どんな気持ちでいるものだろうか。 ある候補者・政党の名を胸にして、どうか勝ってほしい、と祈る気持ちで一票を投じ る。これが、人間的にも政治的にも最もすぐれた投票行動であろう。
多くの場合、業界に利益をもたらす人・党であるからとか、人付き合いの義理だと か、政権党に一泡吹かせたいだけだとか、まあそんなことで票を決める。
少し自意識の高い人は一億票(今回の総選挙で有権者数はこの大台を超えた)の中 の霧粒のようなわが一票を思い、無力感にさいなまれるかもしれない。低投票率の一 因をなす。
いずれも日本人の選挙参加様式である。選挙、なかんずく総選挙は、国民の側面か ら見ると、棄権者を含めたこのようなあらゆる行動・無行動の総和だ。報道も、報道 に対する批判も、本来この事実から出発しなければならないはずだ。
いわば、有権者一人ひとりという「個」と、一億人という「マス」(大集団)の政 治意思に何らかの意義あるつながりをつけるのが報道の重要なはたらきである。事は 容易でないとわかる。候補者も政党も色々と工夫して宣伝や演説会をやるけれども、 国民の「個」を「マス」に結びつけるのは結局、報道しかない。
二大政党がサッカーのサポーターのような積極的党員・熱狂的ファンを持ってい て、彼ら彼女らの大動員により選挙戦の磁場を全国的規模で変えてゆく――これは米 国の大統領選でみられる構図だ。英国の労働党と保守党、ドイツの社民党とキリスト 教民主同盟の選挙戦でもこれと似た光景が展開される。
もちろん日本の政党にも熱心な運動家が少なからずいるだろうが、政党と「マス」 の間の壁を打ち破る力は持ち合わせない。政党首脳が街頭演説に立っても聴衆はたい がいシーンとしている。人々は、たとえば森首相自身によって「そこで語られるコト バ」よりもマスコミ報道の「解釈」を判断の物差しにしようとしているかのようだ。
言い換えると、日本の選挙報道メディアは候補者および政党(被選挙主体)、そし て「個」および「マス」(選挙主体)の間に立ってその選挙を「選挙たらしめる」の である。選挙の演出者となる。諸外国のメディアにそういう機能がないとは言わない が、日本の新聞やテレビがこの分野で獲得した役割(=責任)は際立っている。問題 は、マスコミが二〇〇〇年総選挙でそのような「政治文化主体」としての意思、能 力、実績を発揮したかである。
選挙戦期間中の報道について、最も多かった批判は「各党間の政策対立の焦点がわ かりにくかった」との指摘であろうと思われる。各紙の紙面批評などで社外審査委員 らがしきりに書いていた。私自身はやや違う印象を持った。そういうことを言われる のは、新聞が読まれなくなった、少なくとも克明に読む読者が減ったからではない か。
新聞もテレビも、一昔前と比べたら選挙報道手法は格段に進歩している。私の知る かぎり、政策(公約)の「焦点」を追求しなかった新聞はない。
今回は小選挙区比例代表並立制が適用されて二度目の総選挙だった。「わかりにく い」批判の温床の一つはここにあった。だが、熱心な読者ならば、大抵(たいてい) の新聞が選挙制度分野にひとしお力を注いで報道の妍(けん)をきそったことに気づ いただろう。「情報サービス」という点では、至れり尽くせりのメニューが用意され ていたのである。
しかし、政策や制度の報道が微に入り細をうがって念入りになればなるほど、読者 (国民)と政治の間の距離は遠くなるという困った状況が起きている。政治が専門家 職能集団の仕事として「おまかせ」になりつつある(心安んじ委ねているのではな い。むしろあきらめの末にだ。政治家という職業の世襲化はこれと裏腹の関係にあ る)。
政治が、国民の血を湧かせ肉躍らせる現象ではなくなった。報道の面から言えば、 多くの(無言の)有権者の胸にふつふつとたぎっている政治への怒りの(あるいは希 望の)マグマを国民的論争に引き上げる努力や勇気がない。
一、二の例を挙げてみる。一私企業であるそごう百貨店の放漫経営のツケとして納 税者が一千億円規模の負担を強いられる政治構図について、なぜ、まなじりを決した 論戦が起こらないのか。二番目。課税最低限の引き下げという民主党の「苦い水」公 約は今後のわが国税制・財政に投げかける影が巨大である。新聞がなぜこれについて の本格的な、徹底した論争を回避したのかが、わからない。
政治をもっと庶民に引き付けなければならない。そして、政治は変え得るものだと のデザインを各メディアが競って提示することが必要である。政治学者の高説が跳梁 (ちょうりょう)し、勇気を持ったジャーナリズム精神がひどく希薄化したのが、二 〇〇〇年総選挙報道の著しい特色であった。(和光大学教授)
略歴いとう・てるひこ 一九三七年長野県生まれ。京都大学文学部卒。毎日新聞外信部 長、欧州総局長、福井県立大学教授を経て、現職。著書に『ドイツとの対話』(日本 エッセイストクラブ賞受賞)など多数。