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寄稿論文

メディアのページ



「日本化」する米国の犯罪報道
――強まる商業主義、扇情主義(センセーショナリズム)――

浅野 健一
(同志社大学教授)

(1997年5月17日付)



アトランタ五輪で「爆弾犯視」のジュエルさん / 松本サリン事件の河野義行さんの報道被害 → 極めて類似

メディア状況は悪化

 「調査報道の伝統が衰退して、商業主義・センセーショナリズムの傾向が強まっている」「過剰な報道で公正な裁判を受ける権利が侵害されている」。私は三月末から四月初めにかけて米国でメディア関係者に会った際、こんな嘆きを何度も聞いた。

 一九九六年七月二七日、ジョージア州アトランタのオリンピック公園で起きた爆弾事件の犯人であるかのように全世界に報道されたリチャード・ジュエルさん(34)の報道被害調査が今回の旅の目的だった。ジュエル氏へのインタビューは『潮』六月号に詳報したが、米国でも「犯罪報道の犯罪」が社会問題化しつつある。

 ジュエルさんの報道被害は、九四年六月に起きた松本サリン事件被害者、河野義行さんのケースと極めて類似していた。二人とも事件の第一通報者であり、逮捕・起訴もされていないのに家宅捜索を受けた。情報源を秘匿した捜査当局者のリークや無責任な噂(うわさ)話で犯人扱いをされてしまった。

 ジュエルさんも私に「サリン事件の犯人にされた河野さんのことをよく知っている」と話していた。河野さんは、「日本と米国はもっと違うと思っていたが、パターンは同じ。商業主義が絡むとひどいことになる」と指摘した。

 米国のテレビ局が五十万ドル(約六千万円)の和解金を支払っていることについて河野さんは、「裁判で勝った敗けたではなく、もっと次元の高い争いをしたい。メディアに少しずつ変わっていってもらいたい。そのためにジュエルさんと協力していきたい」と話している。

居直る加害マスコミ

 事件から三日後に「『英雄』が爆弾置いたとFBI疑う」と大きな見出しでジュエル氏への疑惑報道を開始したのは地元の有力夕刊紙アトランタ・ジャーナルだった。同紙は今も「米連邦捜査局(FBI)がジュエル氏を疑っていたという事実を報道しただけだ」と反論。ジュエル氏は裁判に訴えた。

 元ニューヨーク・タイムズ記者のジョン・ヴァンドーン氏は「この国では、報道の自由を擁護することが何よりも重視される。ジュエル氏の顕名報道は米国の普通のやり方だろう。FBIが気を付けるべきで、ジュエル氏が最有力の被疑者だとメディアに言うべきでなかった。新聞はFBIが被疑者と見ていたと報道したわけで、爆弾犯と報じてはいない」と言い切った。こういう意見が記者の間では多かった。

 全米報道評議会(一九七三年〜八二年)の創立者であるネッド・シュヌルマン氏は「米国のメディアはますます巨大な資本に支配され、金のことだけを考えるセンセーショナリズムがメディアを悪くしている。政治の腐敗、様々な選挙での金の流れ方などはあまり報道されない。犯罪報道の行き過ぎなどを防止して、問題が起きれば審理して判断を下し、新聞社に勧告するような報道評議会が必要だ」と強調した。

 報道の自由を守るための市民組織「フリーダム・フォーラム」の責任者で元ミネソタ大学大学院ジャーナリズム学科長のエベレット・デニス氏は、「犯罪報道のあり方が後退してきたと思う。日米のマスコミ研究者が協力して改革したい」と述べた。

 デニス氏によると、かつては三十五の州に「公正な裁判と報道の自由のための倫理綱領」があった。これは法律ではなく報道機関と法曹界が協議して自主的に制定した綱領だ。各州の新聞協会、弁護士会、裁判所関係者で構成される委員会が綱領違反かどうかを審査していた。

 しかし、ある州の裁定が裁判に利用されたことから、この制度は崩壊した。全米報道評議会もニューヨーク・タイムズなどの積極的な協力を得られず、主に資金不足が原因で解散した。ミネソタ、ハワイなどの州で存続しているだけだ。

実名報道はもう限界

 米国の大メディアに属するジャーナリストには、刑事事件で匿名主義をとる北欧の考え方が理解できないようだった。全体として米国の犯罪報道は日本に近づいていると言ってよい。

 朝日新聞は九六年十月三十日夕刊一面トップ(杉本宏記者の署名記事)で、ジュエルさんのメディア提訴に関する論議を報じたが、捜査段階で「実名報道」したからFBI捜査の行き過ぎを監視ができたと肯定的に書いた。顕名でなくても捜査の不当性は報道できる。FBI当局者を顕名で伝えればいいのだ。朝日新聞は何とかして実名報道を守りたいので、米国も実名報道主義だと強調する。

 日本の大新聞の記者たちに言いたい。日本では犯罪報道にほとんど署名記事がない。しかし米国では記者が署名入りで書いている。米国では「ゴリゴリ取材報道して、裁判に負ければお金を払う」というやり方が一般的だが、日本は「ゴリゴリやって、お金も払わない」ということである。

(同志社大学教授)



略歴 あさの・けんいち 一九四八年香川県生まれ。慶応義塾大学卒。共同通信社社会部、外信部、ジャカルタ支局長を歴任し、九四年四月から現職(文学部新聞学専攻)。人権と報道・連絡会世話人。著書に『犯罪報道の犯罪』『犯罪報道の再犯』『オウム破防法とマスメディア』など多数。ビデオ『人権と報道の旅』を監修。