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寄稿論文

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日米マスコミ比較 民主主義社会における報道
――横並び画一的な日本の論調は問題――

トーマス・リード
(『ワシントン・ポスト』前極東総局長)

(1997年4月19日付)



米国 反権力・反政府の伝統強い / 日本 「体制の一部である」との認識

 「日米マスコミ比較:民主主義社会における報道」と題し『ワシントン・ポスト』紙の前極東総局長、トーマス・リード氏が行った講演の要旨を紹介する(三月三十一日、東京・新宿区の戸田記念国際会館で。主催SGI広報室)

「知る権利」の担い手

 民主主義社会を一言でいえば、選挙あるいは世論を通して民衆の意思を明らかにし、指導者を選ぶシステムです。そのために今、社会で何が起こっているのかを知ることが重要です。知らなくては、自分で決めることはできないし、選ぶこともできないわけです。そういう意味で、民主社会におけるマスコミの役割は重要です。

 その基盤には「言論の自由」が当然必要とされるわけですが、この点は日米双方に共通だと思います。「報道の自由」が確立された社会であるという面では何の違いもないと思います。ただし、マスコミの役割を日米のジャーナリストが、どのように見ているか、ここには違いがあると思います。

 アメリカでは、ジャーナリストは自分たちの役割を市民の代表であると思っております。すなわち、普通の人々に一体に何が起こっているのかを知らせるために自分がいるのであると。あくまでも民衆の側に立った民衆の代理人であり、代表と考えていると思います。その意味で「反政府・反権力」である、と。

 アメリカのマスコミが自分たちの立場を表現する上で二つの見方があるわけですが、一つは「アンチ・エスタブリッシュメント」、いわゆる反体制で、もう一つが「アドバンタリアル・ポジション」、つまり常に反対の立場を意識する、反政府的な立場です。

閉鎖的な記者クラブ

 日本の場合は逆に、マスコミは権力者に対して好意的です。“政府を信じていますよ”という立場の報道が多い。日本のマスコミは、自らが“体制の一部である”という認識が強く、基本的に反体制・反政府という立場に嫌悪感を抱いているように見えます。日米のジャーナリズムには、こういう違いがあることを長年感じてきました。

 一例を挙げれば、日本の場合は、誰でも参加できるオープンな記者会見という形は少なく、閉鎖的な記者クラブ発表という形でしか情報が流されない。私自身、日本の警察に対しては、なぜ情報を公開してくれないのかと長年怒りを覚えていました。

 アメリカのマスコミは、巨大な権力を監視しコントロールする機能が効果的に働いています。政府や大企業による大型犯罪はなかなか起こり得ない構造が確立しています。マイナス面は、誰も彼も信頼しなくなってしまったことです。マスコミの姿勢があまりにシニカル(冷笑的)すぎ、不信の目で見るという現象が起きています。

 また、個人のプライバシーが尊重されておりません。特に政府要人や公人という立場にある人たちのプライバシーが尊重されない傾向があります。アメリカのマスコミは、プライバシー侵害を批判されると、水戸黄門が印籠(いんろう)をだすように「我が国には憲法修正第一条がある」(*注を参照)と開き直るケースが多い。確かに言論の自由を保障する大事な条文ですが、だからこそ我々はもっと責任ある態度、責任ある姿勢を持たねばならないと思います。

テレ朝・椿発言の禍

 日本のマスコミの問題は、業界内で互いの和を保つことが最大の関心事になっていることです。まるでマスコミ業界全体が「一枚岩」のようになりがちです。これは社会のために決して好ましいことではない。

 私はかつて日本新聞協会で講演し "皆さんの問題は、おとなしすぎることですよ" と言いましたが、列席者はそれでよいと思っていたようでした。その半面、非常に厳しい時もある。問題なのは、<同じ時に同じ人に対しておとなしく>、<同じ時に同じ人に対して全員が横並びで厳しくなっている>ことです。

 多様な意見があって当然だと思いますが、往々にして横並びになってしまう。例えば一九九三年には、全マスコミが自民党批判を繰り広げた。しかし選挙から約一年後その論調はひっくり返ってしまった。

 何かといえば、「テレビ朝日」の椿(つばき)報道局長の問題です。椿発言が表面化すると、マスコミは一斉に“椿攻撃”に移り、「報道の自由」の観点から "政府や国会が介入すべき問題ではない" という論調はほとんど見られなかった。当然、日本社会にも違った意見や情報があるはずで、マスコミはそれを人々に知らせるべきです。

(ジャーナリスト)

*注【憲法修正第一条】
 「連邦議会は法律により、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止することはできない。また言論および出版の自由を制限し、或(あるい)は人民の平穏に集会をし、また苦痛事の救済に関し政府に対して請願をする権利を侵すことはできない」
 修正第一条から第一〇条までは、合衆国憲法の「権利の章典」と呼ばれる。一七九一年確定。(岩波文庫『世界憲法集』より)


略歴 トーマス・リード  一九四四年生まれ。プリンストン大学卒業。巡回控訴審裁判所の法律書記を経て、七三年熊本大学教養学部で教鞭をとる。七七年から『ワシントン・ポスト』紙の記者。九〇年より九五年まで極東総局長(在東京)。現在、研究休暇中で "アジアの世紀" に関する著書を準備中。休暇後はロンドン支局長に就任予定。