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寄稿論文

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裁判報道に名を借りた学会バッシング
――微塵もない公正さへの配慮――

前原 政之
(ジャーナリスト)

(1997年1月18日付)



中傷するための"素材"!?

 言わずもがなのことだが、裁判報道の役割は、直接傍聴できない多くの国民の「知る権利」を代行し、裁判の内容を公正に報じることにある。だが、こうした常識が通用しないのが、週刊誌の学会バッシングの世界である。

 反学会メディアが学会がらみの裁判を取り上げるとき、公正に報じようなどという姿勢は微塵も感じられない。彼らにとって、その裁判は学会を中傷するための“素材”に過ぎないのだ。そのことを、いくつかの例から見てみよう――。

 今年は「大阪事件」四十周年にあたる。周知の通り、青年部時代の池田名誉会長が公職選挙法違反容疑で逮捕され、裁判の結果無罪が確定した「事件」である。ところが、驚くべきことに、反学会メディアは大阪事件を“学会が悪である証拠”として扱い続けている。

 『月刊ペン』裁判で裁かれたのは名誉会長ではなく、名誉会長の「女性問題」なるものを捏造した『月刊ペン』である。裁判所は被告である『月刊ペン』側に罰金の支払いを命じている。にもかかわらず、反学会メディアは、訴えて勝った学会側をいまも「悪」として扱っている。この恐るべき転倒!

 こうした偏向裁判報道の最新版が、いわゆる「信平訴訟」をめぐる一連の報道だ。原告・被告の立場が対等な民事訴訟であるにもかかわらず、反学会メディアは、揃いも揃って、信平側の言い分のみに与してこの訴訟を報じている。信平側に不利な情報は一片たりとも報じられていない。

悪質な週刊誌の「信平報道」

 たとえば、さる十二月十七日の第二回公判で提出された信平側弁護団の答弁書は、被害に遭ったとする日時すら特定できていないなど、答弁の体をなしていない破綻した内容であった。そのためであろう、第二回公判を報じた『週刊ポスト』(一月一・三日号)、『週刊新潮』(一月二・九日号)の記事は、いずれも答弁書の内容には一行も触れていない。

 また、信平夫婦が貸金返済訴訟で次々と敗訴し、すでに約二千万円にのぼる支払い命令が下されていることなども、報じられていない。中立公正を装うそぶりすら見せず、信平夫婦を「正義の告発者」に仕立てることだけに熱心な報道ぶりである。

 まとめれば、“裁判報道に名を借りた学会バッシング“は、以下のごとき手法で行なわれている。

 (1)学会側が原告でも被告でも、公判の続く間、それをネタに学会を一方的に叩き続ける。

 (2)裁判に学会側が勝った場合、「それでも学会が悪だ」と強弁し続ける。そうすれば、一般読者の脳裏からは、学会側が勝訴した事実などいずれ消え去ってしまう。

欧州の厳しい報道基準に学べ

 また、(2)のバリエーションとして、学会側が勝訴した事実を無視して報じないやり口もよく使われる。例えば、数年前にフランスの大衆紙『パリジャン』がフランス創価学会を中傷する事実無根の記事を載せたとき、『週刊文春』はその記事をわざわざ紹介して学会を中傷し、「詳細は今後の展開に待たれる」と書いた(九一年七月八日号)。

 ところが、フランス創価学会が『パリジャン』の版元を名誉毀損(きそん)で訴え、九三年十月の控訴審で全面勝訴した際、そのことは全く報じなかった。こうすれば、読者の心には「学会=悪」のイメージだけが残るという寸法だ。

 ――メディアが悪意をもって歪(ゆが)んだ裁判報道をするとき、書かれた側には抗(あらが)う術のない完全なる“言論のテロ”が成立する。報道被害への正当な対抗手段である訴訟を、事実上、封じ込めてしまうことになるからだ。むろん、その標的となるのが創価学会だけとは限らない。

 法廷侮辱(ぶじょく)罪の厳格なコントロールがある英国は別格としても、スウェーデン、ドイツなど多くの国のメディアが「紙上裁判」(=判決以前にメディアが被疑者を裁くような報道)を禁ずる自主倫理綱領をもうけているのに比べ、日本の裁判報道には野放しの感が否めない。心あるマスコミ人が率先して、「裁判報道のためのルール」を作るべき時期ではないだろうか。