

(1998年3月21日付)
かつて米国にも、英国やスウェーデンと同様に全国のメディアを対象とした全米報道評議会という自主規制機関が存在していた(一九七三年設立)。しかし、有力メディアの支持を得ることができず、活動を無視され続けた結果、八三年に解散となった。そうした中で例外ともいえる成功を収めているのが、ミネソタ新聞協会が中心となって七一年に設立されたミネソタ報道評議会である。当初から州内の各新聞社に支持され、数年後には放送メディアも参加、資金も年々増加して活動はますます活発になっている。事務局長のゲーリー・ギルソン氏に聞いた。(野山智章記者)
――ミネソタ報道評議会の活動の現状は。
年に百件以上の苦情を受け付けており、また、苦情という形では現れなかった重要課題を話し合うための公聴会も開いている。例えば、ニュース組織はいかに宗教を報道すべきか、いかに身体障害者・知的障害者を報道すべきかなどで、メディアで働く記者達が集まり、意見を述べ合い、相互に学び、それに基づいて活動を行うことができる意義深いものになっている。
機関誌も季刊で発行し、テレビ番組も週一回放映している(予算の関係で内容が変わるのは月一回)。この番組の目的は報道評議会の存在を人々に知ってもらい、もっと利用してもらうためと、こうした問題について話し合ってもらうことによって、ニュース・メディアが高水準を保つように監視してもらうためだ。
地域社会、ビジネス組織、学校のための様々な教育プログラムも手がけ、一般市民がニュース組織で決定権を握る人達と会話をする権利があるのだということを理解してもらうことを主眼としている。この十年間で、スタッフは二人から四人に拡充され、予算も三倍になった(現在、二十二万レ)。
九六年には、ノースウエスト航空と地元テレビ局(WCCO)の論争というケースが持ち上がり、これは我々の存在を一般に広く知らしめる結果となった。このケースでは当初、局側は自局の報道を擁護していたものの、後に航空会社側の苦情を認めた。WCCO側はこれをきっかけにポリシーの幾つかを変更した。非常に健全なジャーナリズムの現れであると思う。
――全米的な報道評議会を再建しようという動きがあるがどう思うか。
州レベル、地域レベルでの評議会の設立をめざす方が現実的であると思う。ニューヨーク・タイムズ紙およびワシントン・ポスト紙が、全国レベルの報道評議会設立に強い反発を示していることで事実上、不可能に近い。テレビ・ネットワーク局は以前よりも前向きになっており、全く不可能というわけではないが、設立に向け傾けることのできるエネルギーも資金も限られており、我々としては何かを始めたいと考えている人達に協力することが先決だと考えている。
ノースウエスト航空のケース以来、二十九の州から評議会に関する問い合わせを受けた。このケースは、CBSテレビのドキュメンタリー番組「60ミニッツ」やウォールストリート・ジャーナル紙、AP通信でも報道されたので注目度が高かった。
――アトランタ五輪で爆弾犯と誤報されたリチャード・ジュエル氏のケースがミネソタ州で起こっていたらどう対応したか?
七〇年代に多くの新聞が「fair trial free press guideline」という倫理綱領を作成したが、ほとんど無視されている。これはジャーナリスト、警察、裁判官、弁護士によって作成された綱領で、綱領の第一は自白を報道しないというものだった。
ミネソタ州でも女性の死体が車の中で発見され、被害者の夫が第一容疑者として報道された事件があった。被害者の夫は逮捕も告訴もされなかったが、メディアは彼を第一容疑者として報道することになんの躊躇(ちゅうちょ)もしなかった。情報源は明らかにせず、ただ「当チャンネルの得た情報によると……」という報道の仕方をした。これはジュエル氏のケースと同様だ。もし評議会に苦情が寄せられれば、当然、不適切な慣行であるとコメントされるだろう。
地元のスター・トリビューン紙は、犯罪報道の対象となった人で、その後、告訴されなかった人々の名前を(名誉回復のために)定期的に掲載しており、また「本紙は通常、告訴されていない容疑者の名前は報道しない」と付している。これはジュエル氏のケースを鑑(かんが)みてのことだと思う。しかし、同紙は「通常」とただし書きを付けており、どこに「通常」と「特殊」なケースの境目があるのかが問題だ。
――選挙報道、政治報道に関する苦情や裁定例は?
ある候補者の政治広告で対抗候補の非難をしたが、その非難は事実と異なるものだった。新聞は事実確認をせずに広告を掲載していた。評議会は公聴会を開き、不服を申し立てた側に理があるとの裁定を下した。評議会は一般の広告に対する苦情は扱わないが、政治広告となれば話は別だ。我々の裁定は、新聞は政治広告に対する事実確認を行うべきであるというものだったが、新聞側はスタッフ数も少なく、選挙のある十一月は非常に忙しい時期でもあり、それだけのことを行う資金もないと申し立てた。
評議会側は事情は承知しているが、新聞は高い水準を要求されるビジネスであり、市民の誤解を招かないようにする義務があると伝えた。この裁定から新聞の編集人側に新しいコンセンサス(合意)が生まれた。ミネソタ州では、選挙は火曜日に行われ、週刊紙は水曜日に発行されるが、現在ではどの週刊紙も選挙直前の水曜日に発行する号では候補者を今まで紙上にのぼらなかった内容で非難することを控えている。候補者本人が選挙前に反論する機会がないからだが、こうした慣行も評議会での裁定例から生まれたものだ。
●注 ノースウエスト航空の苦情申し立て
争われたケースは「航空機の回転を早くするために安全整備を怠っている」という内容の調査報道。同航空会社が連邦政府の機関から、安全整備の不備で罰金を科せられていたのは事実であった。しかし報道では、安全面における他社との比較がなく、また、同社の航空機が今にも墜落しそうに撮影されていたり、従業員のセクハラ訴訟や殺人事件を航空機の安全問題と絡(から)めていた。
正式に苦情を受け付けると、報道評議会はまず申立人とメディアの双方に手紙を送る。双方にまず自分たちで問題を解決すべく努力すること、三十日間で解決できなかった場合、公聴会を開くこと等が説明される。
納得する結論にいたらなかった場合、双方はこれまでの交渉内容も含め自分たちの意見を文書にして、それぞれ報道評議会に提出する。
報道評議会のメンバー(メディア産業側と市民側の代表各十二人で構成)には、問題の焦点が明確にされた苦情の文書がメディア側の回答文書や参考となる資料とともに送られ、基本的な事情を把握した状態で公聴会に臨む。
公聴会では必要な場合、専門家などの証言者が出席することもある。たいていの公聴会は市民の傍聴が認められる。
ミネソタ報道評議会の機関誌『ニューズワージー(Newsworthy)』の題字下には「市民へのアカウンタビリティー(説明責任)を通してメディアの公正を促進」というスローガンが記されている。報道評議会とは何かということは、この一文に端的に示されているともいえる。
長いジャーナリストとしての経歴を持つギルソン氏は知日家であり「創価学会の文化祭を知っています」とも。一般にミネソタ市民は、何事も粘り強くやり抜く性格と言われているが、氏もまた、温厚な人柄の奥に強い意志の力を感じさせる人物であった。
これまで日本に報道評議会ができなかった理由の一つに、全米報道評議会の挫折が挙げられている。しかし、日本新聞協会の調査でも、読者が新聞に寄せる信頼度が大きく落ちこむ結果となっている現状を考えれば、次のようなギルソン氏の意見に傾聴し、大きく一歩踏み出す時であろう。
「ある大新聞の編集者と話していたときに、私は報道評議会を設立して、新聞がより開放的になって自らの過ちを認めるようになれば、人々の信頼を取り戻すことにつながることを話したが、彼はそれは疑問だと言った。米国でも日本でも企業は過去の経験から学び、徐々に人々に対して開放的になっている。報道機関は、なぜ人々が質問を呈したときに開放的になることを拒否するのか」
略歴 Gary Gilson 1961年からミネアポリス・スター紙の記者を3年間務めた後、ニューヨークやロサンゼルスのテレビ局で長く報道やドキュメンタリーの仕事に携わる。また、コロンビア大学やミネソタ州立大学でジャーナリズムを教えた経験もある。81年にミネソタ州に戻ってからは、テレビ局に勤務する一方、ミネソタ報道評議会メンバーに。92年にミネソタ報道評議会の事務局長に就任し現在に至っている。