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続21世紀の日米関係を考える

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続21世紀の日米関係を考える<3>

「冷戦後の沖縄基地問題 我部政明琉球大学教授に聞く

(1999年4月17日付)




米軍事戦略の変化に委ねられる地位

日本の安全保障全体から主体的な論議を



 沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の「普天間(ふてんま)飛行場」返還に日米両政府が合意してから今月十二日で三年――。「県内移設」という条件が壁になり、今日に至るまで具体的な見通しはついていない。ここでは、琉球大学の我部政明教授に基地問題の背後にある「米国のアジア戦略と沖縄」について聞いた。(聞き手=野山智章記者)



新『東アジア戦略』は「包括的」がキーワード

 ――在日米軍基地の約七五%が沖縄に集中している。なぜ沖縄に基地があって、いつまで必要かを、日本の安全保障全体から主体的に論じるべきだとの主張ですが。

 沖縄の基地問題を考えるときに大切な点は、日米安保条約上の問題だけではなく、冷戦後の米軍事戦略の柱として沖縄の基地があるということです。だから結局は、米国の軍事的な戦略がどう変わっていくかが大きなポイントだと思います。同時に、それを支える地域的な枠組みである日米安保体制がどう変わっていくかが、沖縄の米軍基地の地位を具体的に決めているわけです。

 今、日米安保体制は「脱再定義」という言葉に象徴されるような意味で、更に変容しようとしている。例えば、昨年の十一月に出た米国防省の『東アジア戦略』という報告。これは九五年のジョセフ・ナイ国防次官補らによる『ナイ・リポート』を踏まえたもので、キーワードとして「コンプリヘンシブ(包括的)」を使っています。

 中身は何かというと、安全保障の形が、経済もテロも環境もというように、従来の狭い意味での軍事的なことだけではなく、広い意味での安全保障を維持するのだというように変わってきています。沖縄の基地も、このような「包括的」な安全保障の基地として位置づけられてきている。基地を維持していくための新しい理由づけが行われているのです

 ――これらの理由づけの背景となっているものは。

 冷戦期において基地の必要性を説得する側〈日米の両政府〉の態度は、説明すればそれでほぼ決まりだった。ところが冷戦後は、説得される側〈日本の国民や沖縄の人たち〉を納得させるのは並大抵ではない。それを敏感に感じ取ったのが『ナイ・リポート』です。国民の変化をどう方向づけ、これに合わせた形で軍事的なプレゼンス(現状)を、どう正当化していくかという努力が「安保再定義」の本質だろうと私は思います。

 逆の観点からいうと、基地の存在は、フェンスがあって米軍がいるという構図は変わらないが、内容は少しずつ変わってきているように思います。とりわけ軍隊における訓練の在り方とか、あるいは出動の仕方を見てみると、従来は極めて軍事行動の色彩の濃い内容だったものが、今言ったようにテロ抑止や人道的援助など性格が多岐にわたってきた。

95年の県民の怒りがSACO(行動委員会)を生んだ

 ――沖縄においても冷戦終結による“平和の配当”は大変に期待された。とりわけ九五年の少女暴行事件を契機に、県民の反基地感情に火がついた。当時の大田知事が、米軍用地使用の代理署名を拒否し、基地削減を申し立てた訳ですが、今は少し失望感があるのでしょうか。

 沖縄に基地の存在する時間的長さ、あるいは生活のなかにおける基地の存在の日常化と、それに伴うある種の鈍感さを度外視しては論じられない側面があります。

 米軍も日本政府も、基地をなくしたいと言ったことは一度もないし、そういうなかで九五年以降の出来事を考えてみると、「もしかしたら基地が減るのではないか」という期待感を多くの県民に抱かせたと思うのです。

 そのことに対する答えが、沖縄基地の整備縮小を協議した沖縄施設・区域特別行動委員会(SACO)であって、九五年以降の状態が沖縄に生まれなかったらSACOはなかったのではないかということです。そういう意味ではSACOがポスト冷戦に対応したものではなくて、むしろ九五年の沖縄県における政治的な環境の変化に、日米両政府が対応したものであったということです。

 要するに、沖縄の人は冷戦だから基地があると信じてきたわけではない。(第二次大戦末期の)地上戦を経た米軍の占領以来、ずっと基地が存続してきたことに対する、ある種の諦(あきら)めと、ある種の怒りと、同時に日常化もあります。

普天間返還は新ガイドラインの産物か

 ――かつて教授は、「普天間基地が返還されていく背景には、新ガイドライン制定があった」「日本国内の民間の港湾、空港を使用できることが代償だった」とも発言されています。

 必ずしも「普天間基地を返す代わりに新ガイドラインを」という単純な取引ではないかもしれない。普天間の返還は、沖縄の基地問題をはじめ、日米同盟で抱えているさまざまな深い長い問題をどう乗り越えていくかという問題意識に鋭くリンクしていただろう。沖縄の政治問題の鎮静化を図り、他の米軍施設を生き延びさせるための方策だったのではないか。

 そのなかで日本政府は、新ガイドラインの制定を行い、従来よりは踏み込んだ防衛協力を米国側に行うという安全保障政策上の大転換を行った。普天間返還と新ガイドライン制定は、当時の政治的危機を日米で乗り切っていこうという、一つの大きな共同作業だったと思うのです。

 ――新ガイドラインによって米軍と自衛隊の協力が強化されて、かえって沖縄の基地の削減がなくなるのではないかと指摘する識者もいますが。

 要するに基地問題は米軍基地の問題なのです。大ざっぱな言い方ですが、自衛隊基地には基地問題はないわけです。大分県の日出生台(ひじゅうだい)でも、米軍演習には反対でも自衛隊の演習に反対するものはない。これは日本本土での認識です。

 一方、当局としては、米軍基地をなくしたいが在日米軍は必要だと。だったら米軍は自衛隊基地を使えばいいということになります。しかし沖縄の場合、那覇にある自衛隊基地にすべての米軍が入るわけにはいかないから、フェンスの表面には自衛隊基地と書いて、自衛隊との共同使用にする。今、あたかも流行語のようになっている日米地位協定の第二条四項に基づく運用です。そのようにしていけば、理屈上は基地問題をゼロにすることができます。

 ――中身は同じで包装紙を変えるようなものですね。

 これまでも日米両政府は、そういうやり方をしてきたのです。在日米軍基地の削減は五七年から始まっていますが、当時の岸政権でも基地返還を主張していた。米国側の不安は、いざという時にきちんと使えるのかというものでした。それで、原則として自衛隊に移管し、いらない所は民間に返すという形をとった。

 こういうやり方は自衛隊基地が外国軍隊でない分だけオブラートに包むことができる。米軍基地は今のところ治外法権で日本の主権が及ばないが、自衛隊基地は日本国の主権の及ぶ範囲であるから、日本のコントロールが利きやすいという意味で、国民世論的にはうまく説明が付けやすい。でもこれは、だれが見てもおかしいですね。

 沖縄でも、こういうやり方で地域住民の基地に対する感情を寸断していくことによって、ある種の反基地運動を少数派化させていくようなことを考えているみたいです。



取材メモ

発想の転換こそ打開への道

 地元紙に“茶髪でスニーカー履(ば)きの琉大教授”との紹介記事も出た新世代の研究者。学問的な手法は、冷静かつ実証的で“手堅い”と定評が。米国立公文書館で入手した外交文書などから、沖縄返還に絡み日米両政府が交わした軍移転費用負担の密約を発掘し注目を集めた。

 朝鮮半島に近いから沖縄の基地負担は仕方がないとの議論には、「地理的条件は新石器時代から変わっていない。本質は、人間のほうが今あるものを正当化していく発想を変えていくべきだ」とピシャリ。



略歴 がべ・まさあき 1955年沖縄県生まれ。琉球大学卒。慶応大学大学院博士課程修了。在フィリピン日本大使館専門職員、ジョージ・ワシントン大学客員研究員を経て、現職。著書に『日米関係のなかの沖縄』、共著に『植民地帝国日本』、共編に『ポスト冷戦と沖縄』などがある。