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続21世紀の日米関係を考える

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続21世紀の日米関係を考える<1>

96年「安保共同宣言」の背景 栗山尚一・前駐米大使に聞く

(1999年3月20日付)




日米同盟、「漂流」から「再構築」へ

経済大国は世界平和に政治責任もつ



 新たな「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)関連法案の審議は十八日、舞台を衆院の防衛指針特別委員会に移し、全閣僚が出席しての総括質疑が行われた。ここでは、新ガイドラインの基点である「日米安全保障共同宣言」(一九九六年四月、来日したクリントン大統領と当時の橋本首相が発表)の理念と背景について、共同宣言の作成に深くかかわった栗山尚一・前駐米大使に聞いた。(聞き手=野山智章記者)



冷戦後の国際環境ふまえ再定義

 ――駐米大使時代の仕事の総決算として「日米安保共同宣言」の作成作業に深くかかわった立場から、同宣言の意義についてコメントをいただきたい。

 各論的に言えば、もちろんガイドラインの見直しもあるわけですが、やはり大もとは、冷戦が終わって、ソ連の軍事的脅威がなくなった中で、何から平和を守るか、何から安全を守るか、すなわち日米安保体制がなぜ必要かということを、もう一回原点に戻って「再確認」あるいは「再定義」をする必要があった。そして、日米双方の国民の理解と支持を得る必要があるということが、安保共同宣言の基本にあったと私は理解しています。

 ――いわゆる「冷戦後安保」では、安保条約の第二条で謳(うた)われた経済的協力の促進がクローズアップされていますが。

 日本が米国と協力していくことをなぜ必要としているか。裏返しとして米国が日本をなぜ必要としているかの理由ともいえますが、同盟と言っても安全保障面だけの同盟ではなくて、グローバル化が非常に進んでいる世界のなかで新しい国際秩序をつくっていくうえで、やはり米国との協力がなくては、日本独力ではそれは出来ない。

 そういう意味での米国との協力関係が、今後ますます必要になるということなのです。民主主義と市場経済の基本的価値を共有する二大先進民主主義国である日米の同盟関係の核心として、安保の二条というものが、冷戦のとき以上に非常に重要になってきているだろうと思うのです。

「両国民へのメッセージ」と併せ発表

 ――「日米安保共同宣言」発表の際、「日米両国民へのメッセージ」と題したもう一つの共同宣言も出されています。

 クリントン政権になって強調された発想は、日米関係は三本足から出来ているということでした。一つは安全保障の関係、二つはグローバルな政治協力、三つ目が経済です。

 それで、一と二は比較的ちゃんとしているが、三つ目がどうも具合が悪い。だから三つ目を懸命にやるのだということで、経済、とくに貿易の面で米国から注文が出て、それが九〇年代半ばには「経済摩擦」に発展するわけです。

 その後、ジョセフ・ナイ国防次官補のイニシアティブ(主導)で安保共同宣言をつくることになった。今度は逆に、経済関係だけが日米関係ではないのと同じように、安全保障の関係だけが日米関係ではない。日米の関係というのはもっと幅が広いものだということを痛感した訳です。

 すなわち、政治、経済、社会、文化、科学技術など多様な分野にわたって、二十一世紀に向かって日米が互いに相手を必要としていることをもっと広く考えて、日米双方の国民が、それを理解する必要があるのではないか、と米国側に申し入れました。それが、結果的には安保共同宣言と同じときに、橋本総理とクリントン大統領がサインをして「日米両国民へのメッセージ」という題がついた文書になったわけです。

「一国平和主義」はもはや許されない

 ――九〇年の湾岸危機の際、外務次官として「一国平和主義はダメだ」と発言されました。そうした問題意識は「日米安保共同宣言」にも引き継がれていますか。

 日本が、なぜ国際的な批判を受けるかと言えば、それはやはり日本が経済大国だからなのです。

 経済大国には、経済的な責任が国際的にある。そこまではかなりの程度、日本国民もわかっていると思いますが、もう一つなかなか理解されないのは、経済大国は政治的な責任もあるということです。政治的な責任とは何か――それは世界の平和について、人任(まか)せには出来ないということなのです。

 日本の平和だけでなく国際的な平和を強化していくために、日本は汗を流さなければいけない。このことを、日本人はもっと自覚する必要がある。汗をかくといっても、軍事的な役割を果たすことだけが平和に貢献することではない。最近の十年では、日本が外交で非常によくやったのはカンボジア復興でした。

 軍事面以外でも平和に貢献する道を日本はもっと考えて、知恵も出し、お金も出さなければならない、人も出さなければならない。PKOなどもその一つですけれども、国際的な平和を強化していくためのコスト、政治的なコスト、外交的なコストというものを日本は負担をしていく必要があると思うのです。

危機感抱いた94年の朝鮮半島情勢

 ――駐米大使在任中の九四年、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核危機がありました。この時の対応を巡って「日米同盟が崩壊してしまうのではないか」との危機感を抱いたと述懐されていますが……。

 米国側から見ると、「日米安保共同宣言」を考えるようになった理由の一つは九四年の朝鮮半島危機が強い契機になっています。

 九四年から九五年にかけて、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)を中心とする米朝の枠組みが出来る過程で、国防省などが非常に危機意識をもったのは、万々が一北朝鮮が暴発した時に、それに対して効果的に米国が対応出来るような態勢が、日米の間に出来ていないことです。

 七八年に旧ガイドラインが出来て以来、二十年間いわば放置されて、当然やるべきことがやられてない。そのために、万々が一の状況になったときに、日本がどこまで米国をサポートしてくれるかがわからない。これをきちんとしなければいけないという、かなり差し迫った認識が米国にあったということです。

 たしかに、集団的自衛権の行使を禁じた日本の憲法上の制約――これは、国際政治の世界で、日本がアジア・太平洋において、地域的な安全保障のために軍事的な役割を果たすことはなく、海外に展開する軍事力を保持しないという法的な裏付けと理解されています――と、(戦前の侵略行為の記憶からくる)日本の武力行使に対する近隣諸国の否定的な受け止め方という基本的な状況は今日も変わっていません。

 しかし、安保条約の枠の中で、日本の平和と安全が脅かされる事態、少なくとも日本国民の大部分がそう認識する事態のときに、その対処を米国だけに任せて、日本は何もやらないということで済むのか――。私はそれは済まないと思っているのです。

 もう一つは、より長期的なことですが、冷戦が終わって、米国でも「平和に対する配当」という期待が高まってきた。ソ連の脅威がなくなったにもかかわらず、なぜ韓国とか日本にかなりの規模の米軍を置かなければならないのかという「内向き志向」の疑問が、米国民や米国の議会から出てきた。

 それに対して、米国の行政府がきちんとした説明が出来なければ、結局、軍を引けという米国の世論や議会の圧力が強くなって、東アジアに米軍の存在を維持することが困難になった。そういう米国の国内の世論、議会の圧力に対して、米政府が出した答えが「日米安保共同宣言」だったのです。

避けられない同盟のコストとリスク

 ――ガイドライン関連法案の国会審議では、地方自治体や民間の協力問題も焦点になっています。

 安全保障面での同盟関係は、基本的には同盟関係によって生ずるコスト、それは経済的なコストだけではなく、政治的なコストや社会的なコストも入っています。そういうコストと、同盟関係を結んでいることによって生ずる政治的なリスクをある程度、分担しなければ、絶対に同盟関係は成り立ちません。

 戦後、日本がそういうコストとかリスクをほとんど分担しないでも、米国が日米関係においてそれを許したのは、圧倒的に米国が強くて日本が弱く、日本がコストもリスクも負担しないで、全面的に米国に依存するという体制を許容するだけの余裕が米国にあったからです。

 米国にその余裕がなくなってきたときに、日本に求められたことは、もう少しお金を出せという話だった。それで日本は駐留軍経費を、いわゆる「思いやり予算」で負担することで、コストは分担をするところまで行ったわけです。しかし、リスクを分担することについては、日本はそれをやってこなかった。

 そういうリスクを分担するということが、このガイドライン関連法案の本質なのです。日本が経済大国になって、日本、あるいは日本国民自身が、米国に対して対等な関係を追求するという気持ちを持っているときに、これをやらなければ、私は同盟関係は成り立たないと思っています。

 例えば(日本周辺の有事の際)米国の艦船が一般の日本の港に入ってくるとか、その他いろんな飛行場を利用するとか、あるいは地方自治体が協力してもらわなければ出来ないような問題について協力ができないということであれば、やはり日米の同盟関係、安保体制は成り立たないと思います。自治体や民間企業等が困惑するという気持ちもわからないではないが、やはり、やるべきこと、できるだけのことを行うのは当然である。それが果たせないということでは、安保体制が紙切れと同じになってしまうのです。



取材メモ

憲法9条改正論者ではない、と

 外務省の顧問室でインタビュー。氏は、九四年ごろから「日米間で目的意識や方向感覚が失われてきていると感じた」と指摘し、現状の日米関係は「漂流」していると警鐘を鳴らしてきた。駐米大使時代は全米各州を精力的に講演旅行に歩いたことは有名。

 常々、「私は憲法第九条改正論者ではない」と明言する氏は、湾岸危機に際しての多国籍軍協力に関して自衛隊派遣に反対し、シビリアンの「別組織」にこだわった。戦前、軍部とぶつかって外交官を辞めた父親の体験が影を落としたともいわれている。



略歴 くりやまたかかず 1931年生まれ。東京都出身。東京大学法学部中退。外務省入省、条約局長、北米局長、駐マレーシア大使、外務事務次官を経て、92年から96年まで駐米大使。現在は外務省顧問、早稲田大学客員教授。著書に『激動の90年代と日本外交の新展開』『日米同盟 漂流からの脱却』など。